無意識日記々

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小室哲哉が「今日4月21日はTMデビュー27周年記念日」な旨ツイートしていた。といってもTM NETWORKとして5年、TMNとして5年活動して一旦解散したので、27年間ずっとという感じでもない。バンドの勃興期・隆盛期というのは案外短く、今話題になっているBOφWYも5,6年で解散して、ソロ活動のキャリアの方がずっと長くなっている為、当人たちの思い入れの程度と質はなかなか推し量れない。The BeatlesThe Policeよりポールマッカートニーやスティングとしての活動の方がずっと長い。しかし、その継続的な露出のお陰で出発点となったバンドは自動的に伝説化されていく。伝説化肥大症候群である。(今勝手に名付けた)

ひとりシンガーソングライターである宇多田ヒカルにはそういう側面はない。余談だが、私の世代ではシンガーソングライターってのはピアノやギターを弾いて自作曲を歌うフォーク/ニューミュージック系の歌手を指してる気がするので、例えばaikoやmiwaがそう呼ばれるのは違和感ないが、ヒカルのような打ち込み主体の音楽家をそう呼ぶのは未だにしっくりこない。余談でした。で。しかしヒカルくらいのネームバリューになると看板としての名前の大きさはバカにならなくなってくる。

バンドというのはオリジナルメンバー、或いは黄金期のメンバーが重要視されるが、これは音楽的な高度やケミストリーといったこととは関係なく、ただバンドの名前の認識と結びついた面子が揃っているかどうか、というだけだ。名前を覚えた時の顔の並び。インプリンティング(刷り込み)の亜種だといえる。

この風潮が支配的になるのは名前の露出が最も大きかった時期がいつになるかに左右されるので黄金期のメンバーが重視されるのだが、ヒカルの場合最初地上波テレビの露出がないまま日本記録にまでいってしまったのでこの"バンドの黄金期のメンバーの顔並び"にあたる要素が"曲"になる。

本人もそこらへんは初期から自覚していて、自分はオートマと初恋の歌手として一生認知されても構わない、でも固定化されたルックスで認知されるのはイヤだといって(髪型変えた時の話)、安定したヴィジュアルイメージをもたずにここまできた。

さてこういう背景のまま無期限人間活動に入った場合何が起こるか気になる所だがその話はまた次回。