無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

声になる話、声にならない話

ツイッターミニブログマイクロブログと呼ばれる事が多いが、実態はオープンなシステムによるゆるめのチャットという感じで、そのゆるさ加減がうまく出来ているのだが、そのリアルタイム性故発言が必ず反映されるとは限らないし反映されても総ての発言を追える訳でもない。

そこの所を補完するのがリツイートで、重要だと思われた発言は繰り返しサーチストリームに乗ってくれる。何か云えば、何かを云いたければたくさんの人々を巻き込まなければいけない。フレンズタイムラインの場合は巻き込まれたくなければフォローをハズせばよいだけなのだが、サーチストリームの場合はそうもいかない。

私はキーワード"宇多田"のサーチストリームを常用しているが、今回のAKB48のチャートアクションの話題に出てくる"宇多田"の文字はあクマでAKB48の話題性の引き立て役であって、どこまでもそれはAKB48の話題でしかなかった。その為、幾ら引き合いに出されてヒカル(とミスチル)の記録をほめそやされてもさっぱり嬉しくなかった。AKB48を貶す為の道具として名前を出された、という感じだった。つまり、実は(幾つかのコメントとは裏腹に)総体的にはヒカルの再評価にこれは繋がらないんじゃないかという悲観論だ。

理屈は非常に単純で、今回の件で憤っている人々は多かれ少なかれチャートの数字を音楽の価値判断基準として頼っているからだ。純粋に枚数の勝負だというのなら誰が何枚買おうが商品の中身がどうであろうが関係ないし、音楽を聴いて判断する人にはそもそも関心のない話題だ。その間のどこかに居る人々による反応なのである。

チャートによってヒカルの威厳?誇り?威光?が侵されたと感じるのならば、そもそも歌を聴いてもらっても自信をもって評価してくれないだろう。数字による裏付けがなければよいと声に出して行動するのに躊躇いが生じるからだ。それがないのに憤るなんて有り得ないのではないか。どうだろう。

しかし、二次的波及効果は期待出来るかもしれない。とにもかくにも宇多田の3文字がメディアに踊ったのだから、よく知らない人は名前で検索してUTUBEに辿り着くかもしれない。そこから新たに魅力を発見して貰えるかもしれない。そう考えると悪くない。二次的なものだから、割合としては極々少数だろうけど。

それにしても、たとえAKB48が楽曲収録のみのシングルCDを一種類だけで出したとして、ヒカルのCDシングルは売上数で勝てるだろうか。今両者が全国ツアーをしたら、動員数はいい勝負になるのではないか。"バブル"だろうが全体の効率が低かろうが、なんだかんだで実態・実体はある。それが露わになっての勝負にならなかったのは、逆によかったのかもしれないよ…。