無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

溜め息を吐くサイズ

ツイートで「おやすみありがとう」は"おやあり"、「おはようありがとう」は"おはあり"、らしい。使ったことないけど。するってーと「横レス横リプありがとう」はやはり「横アリ」なのだろうか、という訳で今回は横浜アリーナのお話。(変なまくらさんやな)

筆者さん(私)は09年の世界選手権の時横アリに8日連続で通っていて「暫く住んだらええやん」と思っていた位なので会場としての新鮮さは皆無だ。が、Wild Lifeの為には本当によい会場だったなと思う。新幹線の発着駅が最寄りというのもいいし、会場までの道のりもそんなに難しくない。しかしなにより、今回うってつけだったのはセンターステージへの相性のよさとそのサイズだろう。

光がまんまるのステージから『いちばんうしろのほうのかおまではっきりみえる』的なことを言っていた気がするが(スマン、よく覚えていない)、これ、掛け値なしに本当の事だったんだと思う。筆者さんは舞台になんか立った事がないから推測するしかないのだけれど、あそこから眺めたらひとりひとりの顔がよくよく見えるだろうなぁと何となく強く感じるのだ。

1万4000人規模の人なら、光はひとりひとりをハッキリと認識できると思うのだ。それは、顔と名前が一致して覚えられるとかそういうことじゃなくて、それ位の人数の人間ってのが一体どういう個の集まりなのか、集団としてのサイズを把握できるということだ。

実際、ステージに立つようなスーパースターたちはその人数の人間を"把握"しなければ、ショウを適切に導けない。ジョンボンジョヴィは嘗て横アリのステージに立ったとき「まるでバーで演奏してるみたいだ」と宣った事がある。普段スタジアムでばかりコンサートを開く彼にとって横アリはそれ位狭く感じたという話だ。

光にとって、人間がただの"1,2,3,沢山"にならない位の人数が、だいたい一万人前後であるような気がする。誤解を恐れずにいえば、これくらいだと"友達感覚"で居られるのである。大衆とか民衆とかいうひとくくりの集団ではなく、ひとりひとりの顔がはっきりみえる集団。光が『いちばんうしろまでよくみえる』と発言したのは、ただ視覚的に可視だと言っているだけではなく、そういう感慨や感覚を指している気がする。

そういえば、昔EasyBreezyのDVDシングルがリリースされた時、初週一万枚余りだったその売上枚数を指して「光の熱心なファンはだいたい日本ではこの位の人数なのではないか」と指摘したことがある。同DVDを買う位な熱心さ、という解釈もできるがだからといって同作品を購入していないからといって熱心ではない、なんてことでもない。個々の人間の事情は個々のものとしてあるとして、集団のサイズとして大体これ位だろうと、そういう曖昧な感覚を覚えたのである。

横アリの聴衆サイズは、その為、光にはちょうどよかったのではないか。熱心なファン、というのはつまりこのままいくと一生の付き合いになりそうな、という雰囲気がある。友達感覚とはそういうことだ。光が、こう、気のおけない、力まずに歌を届けられる人間の数がだいたいこれ位なのではないか。恐らく、横アリより広い会場でも満員にはなっただろうが、この場所で開催して本当によかったなぁ、ドンピシャだったなぁと思う次第である。

一方、光の紡ぐ音楽自体のそういう"スケール依存性"について考察するのはとても興味深い。武道館でアイアンメイデンをみたときや、さいたまスーパーアリーナAC/DCをみたとき、筆者さん(私ね)は「彼らの音楽にこの会場は狭すぎるなぁ」と感じたのだが、光に関してはそういう感覚が…という話を始めると長くなり過ぎるので今回はこのへんでちゃおー☆