無意識日記々

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キンタマ母ちゃん断固阻止

感染症禍下だからか何なのか、最近更にTwitterユーザーが増えてる気がする。ちょっと前まではいいねが5桁だと「随分バズったなぁ」という感覚だった。一日に一個か二個あるかなぁという印象。最近は6桁ツイートが一日に4つも5つもタイムラインに流れてくる。としかして日本の人口増えたの!? いやもうずっと減り続けてるよね…。

宇多田ヒカルさんもTwitterを始めて10年余り。初期の頃のインプレッションなんて比較対象にすら……ってそもそも昔はインプレッションなんて無かったさ。なので、どういった発言が注目を浴びているのかは、その同時期の他のツイートなりなんなりの数値との比較をせねばならずなんともやりづらいのであった。

バズりのオーダー(桁数のことね)というのは、認知の階層を形作る。例えば私みたいな人間はヒカルの発言なりアウトプットなりの殆ど総てを追っているので様々な変化に対する認識の精度が高い。感じ方や考え方、口調や関心など、時期別に結構細かく把握している。まぁそこらへんはこの日記にずっと書いてあるわね。

これが、ヒカルへの関心が薄い人ほど大雑把に、疎らになっていく。宇多田ヒカルのアウトプットに触れるペースが一年に一回くらいだったりする。いやいやもっとインターバルが空く人も多い。特にヒカルはデビュー最初の一年が物凄い注目度だったので、その時の記事の多さや視聴率の高さゆえに宇多田ヒカルのアウトプットに触れた遠くの人たちは、そこから20年以上ヒカルの情報がアップデートされていない。未だに認識が「R&Bを歌うタメ口の女の子」のままだったりするのだ。令和になってからもそういう発言を見掛けた事がある。宇多田ヒカル情報に生涯で数回しか触れないような人が世の中には沢山いるのだ。もしかしたら「全く触れない人」より多いかもしれない。視聴率が25パーセントを超えるとそうなってくるのかもね。紅白にも出たしな。

そんななので、Twitterにおいても、ヒカルの発言はいちばんバズった二つ三つくらいについて知ってる程度という人が大多数になりつつあるのではないか。初期の頃は「取り敢えず気軽にフォローできる超有名人」の10〜20人のうちの1人だったような気がするが、今はそんな認識も無いだろう。フォロワー数が大して増えていないのに対して、恐らく母数(Twitterにアクセスする人の総数)はこの10年で10倍とか20倍とかになってるんでないのかな。詳しいデータは知らないけれど。

なので、今下手にデカくバズると変なイメージがついてしまう恐れがある。5年前の年初のキンタマツイートがあの程度(3万いいね)で済んだのはよかったとみるべきか。例えばこれが5年後の今20万いいねとかついちゃうと今後二〜三年「キンタマ母ちゃん」みたいなアダ名で呼ばれ続けるかもしれないのだ。それは極端だけれど、今ってもう2021年、1世紀生まれが成人してんのよ。若い人たちに対して「宇多田ヒカル」なんて看板がいつまで僕らと同じ意味を持つのかはわからない。一方で年配になればなるほど情報更新が鈍化していつまで経っても「R&Bを歌うタメ口の女の子」扱いをされ。なんというか、今は結構な過渡期な気がする。どんなプラットフォームやアプリが情報発信や交流に適しているのか、再度検討すべきフェイズに入ってくるのかなと。まぁ、あたしに言わせればやはりここは『Message from Hikki』を復活させて欲しい、といういつもの主張になる訳だけど(耳タコだなこれ)、なんだかんだで自前サーバからの発信がいちばん無難なのは結構そうなんじゃあないのかなぁ?と思ったりもするのでした。