『桜流し』発売8周年か。EVAQ公開8周年でもある。そこからやっとシンエヴァ。長かったねぇ。
破とQの間は3年だったが、その間に東日本で地震があって大衆の認識に変革が起きた。マスメディアが集中する関東平野でもかなり揺れたのが大きかったが、更にそこから8年となるとまぁめまぐるしいことで。
そういう時代性を気にしなければいけないのは庵野総監督が制作にライブ性を持ち込むからであって、これが例えば「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」みたいな作風なら10年や20年ずれてもそんなに問題ではない。そもそもの作風が古典だからだ。エヴァはそうではなかった。常に世相とにらめっこ。故に向き合い方一つで作風はどうとでもなる。
感染症禍の影響を取り入れる暇がこの半年にあったかどうかというとなかなか微妙な所。アフレコはかなり早い段階で終わっているし、今現在はもうダビング作業中とのこと。リアルタイムなライブ感を出すのに劇場版アニメという媒体を使うこと自体がギャンブルだとは思うがそもそも映画ってもんがギャンブルに他ならないからまぁそんなもんか。
一方でヒカルの主題歌は、世相も横目にするがそもそもが古典となる強靭さがある。『桜流し』が地震とそれにまつわる幾らかにインスパイアされているのは間違いないが、それに留まらない所にまで昇華されているから公開時期がいつだろうがそれほど関係がなかった。今度のシンエヴァでもその特性は遺憾無く発揮されているだろう。くどくどうるさいが、まだ主題歌歌うと決まったわけじゃないけどね。当日までわからんかもしれんし、それは今言っても仕方ない。でも毎回言うよねやれやれ。
幾つかの作品でエンディングテーマを聴いてきた身から言わせてもらえれば、本編が名作だろうが何だろうがヒカルの歌が揺るがされた事はない。ただ、今回はこのコラボレーションが始まってから初めての、そして最後となる事態、「話の続きがもうない」状態で流れる歌というのが今までと異なる点だ。観てる方が感動に打ち震えているか、それとも狐に摘まれているかで歌の入って来方が全然違うだろうね。そういう意味では、経過は兎も角「終わり方」だけは最初からヒカルに教えられていたのかもしれない。エヴァを楽しみたかったヒカルからすれば何とも苦々しいがそこは仕事だからねぇ。中の人の一員になった以上腹括ってるだろうな。『人生最高の日』みたいな曲が流れてきたらとか考えてしまった。それカレカノの「夢の中へ」と似た奴だな……もうやってるか庵野さん。