無意識日記々

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耳年増(違

"年齢なんてただの数字"とは言うけれど、本当に何の関係もないのならわざわざこんな事口に出して言う必要もないわけで。過度に気にし過ぎたらいかんよ、という意味だと捉えるのが妥当な所だ。

光はデビュー当時「15歳なのに」と言われまくった。なのにあんなに歌が上手い、あんな詞や曲が書ける、と。

だが歴史を紐解いてみると、歌が上手いヤツはもう最初っから上手いのである。それこそ、年齢なんて関係ない。スティーヴィー・ワンダーマイケル・ジャクソンも、ローティーンの頃から才能を発揮していた。

寧ろ、年齢を重ねれば歌が上手くなるという幻想の方が間違いだ。確かに、声楽科に進むような人々は幼い頃から進級していくに従って技術と体力を習得していくだろうが、それはひとつには"教えられる範囲で"でありまた"そもそも上手くないと次のステージに進めない"からでもある。半分は"ゲームをする前から勝負は決まっている"のだ。

なぜこうなるかといえば、能動的な能力は時間をかけて習得していかねばならないのに対し、受動的な能力は幼少時に確立してしまえる確率が高いからだ。要は"耳のよさ"である。

ちょっと毛色の違う例を出してみる。福原愛は3歳の頃から天才少女として囃されてきたが、彼女が最初から特別だったのは"眼"である。まだ台から顔だけが出ているような頃の試合を見た事があるが、リーチが足りない為に届かない球にも眼だけはしっかり追い付いていた。後年なんとか身長が伸び(それでもちっちゃいんだけど)今や世界Top10ランカーだが、眼に関していえばそれはもうちっちゃな頃から世界トップクラスだったのだ。

ミュージシャンも同じで、まず何よりも大切なのは、能動的な表現技術ではなく受動的な、"いい音"を細やかに聞き分ける耳なのであって、これは年齢と関係がない、というか寧ろ若い頃の方が瑞々しい。スポーツ選手が"まず眼から衰える"とよくいうが、これはカラダの各部より早く眼が衰えるというより、どこかが衰えるとして、眼の影響が最も顕著に出る、という意味ではあるだろうけども。

光の場合も、小さい頃から耳のよさが格別で、そこに母親譲りの"喉をコントロールする能力"が加わった為、すぐに歌の実力を発揮できた。クラシックの声楽家は体力的に成熟するまでは完成とまではいかないが、ソウルシンガーの場合マイクロフォンの存在が前提な為、体力的な壁はさほど高くない。細かな節回しを聞き分けれる能力の方が大事で、これは耳さえよければ経験に大きく依拠せずとも獲得可能なのである。

裏を返せば、これから30台を迎える光の耳は、物理的機構として悪くなる可能性はあっても飛躍的によくなる可能性は殆どないだろう。実際、これ位の年齢から高域(10kHz台)の音は聞き取り難くなってくる。猫よけ超音波まで捉えていた光の耳も、そんな風に煩わしされる心配がなくなっていくかもしれない。

そこをこれまでの経験でどうカバーしていくか。シンガーとしての実力は、耳が衰えてからが真骨頂といえるのではないだろうか。