無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

Numbering

さてSC2発売が1年が経過した。で、今小さく悩んでいるのが「宇多田ヒカルのアルバムの通しナンバー」をどうするか、だ。

いやいや、普通の話だ。First Loveが1stアルバム、Distanceが2ndアルバム、Deep Riverが3rdアルバム、ULTRA BLUEが4thアルバム、HEART STATIONが5thアルバム、と少なくとも当欄ではそう呼んでいる。Single Collection Vol.1を通しナンバーに入れてこなかったのは、単純にそこに新規音源がなかったからだ。では、新曲を5曲も含んだSC2はどう扱うべきなのだろう。

勿論、しれっと"オリジナルアルバムではないから"と次の作品が出た時に「宇多田ヒカル6枚目のオリジナルアルバム」と言ってしまえば事足りるのだが、それではまるでSC2D2(スターウォーズみたいだなこの略し方)の5曲が"番外編"みたいな扱いに思えてしまう。シングルのカップリング曲のような"嬉しいボーナス"と異なり、ファンの実感からすれば、光の人間活動中におけるひとつの道しるべであり拠り所であり希望でもあるのだ。寧ろ、普段のオリジナルアルバムの楽曲より重みのある存在群だとすらいえるかもしれない。そんな楽曲たちを"キャリアから外れた"ように扱うのは、どこまでも違和感を感じざるを得ないのだ。

ヒカルがインタビューで言うには「私の作品は総て後から手に入るようにしておきたい」との事だが、SC2D2の楽曲はSC2に収録されている限りそれで十分なので、今後発売されるかもしれないB-tracksに収録される事も望み薄だ。勿論そのB-tracksの通しナンバーをどうするかという問題もあるのだが。

そもそも、通しナンバーとはアーティストの作風の変遷を捉える為につけるものだろう。この、宇多田ヒカルという歴史的なアーティストの作品群を把握するにあたって、SC2D2の5曲は欠くべからざざる楽曲群なのだから、何らかの方法でオリジナルアルバムの流れの中に位置付けておきたい。その"流れ"というものを重視するのであれば、後から他のコンピレーションに収録されても意味はない。2010年の秋冬にリリースされた事自体に意味があるのだから。

正直、うまい解決策は思い付かない。こんな話は些事であって悩むまでもない、という意見には全面同意するが、書き手の感覚として、「5枚目のHEART STATIONに続く6枚目のオリジナルアルバム」と書く時に、何やらSC2D2をオミットしたような妙な感覚に襲われそうでイヤなのだ。筆先が鈍る。

まぁ、それを言ったら間に挟まれたUtaDAの2枚のオリジナルアルバムはどうするんだって感じなんだけど。

どうせなら、クラシックのアーティストみたいに宇多田光の作品群に全部の通し番号をつけて把握したいもんだ。宇多田ヒカル名義もUtaDA名義も何もかも。ったく私が勝手にやってやろうか。