無意識日記々

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美味好物は最後迄とっておくタイプ

『十時のお笑い番組』の『番組(バングミ)』と『ホントは誰よりハングリー』の『ハングリー』が、そして『そういうのも大事と思うけど』の『大事(だいじ)』と『弱気めな素顔映す鏡 退治したいよ』の『退治(たいじ)』がそれぞれ韻を踏んでいる、という話を前回したが、今回の主題は「そこから何を読み取るか」の話である。

これらの音韻がどのように作られ、構成されていったのかを推理してみたい。関わる歌詞の中で、ヒカルが最初に置いた一節はどれなのか。それは、シンプルに「言いたい事」を言っている箇所であろう、と推測をまず立ててみる。

取り敢えず、2つのAメロを併せて見た時に、いちばん"主張"が感じられるのは『毎朝弱気めな素顔映す鏡退治したいよ』な気がする。ここから始めてみよう。

ヒカルの大きな特徴として「言いたいことは後に言う」というのがある。Popsの心得「入口は広く、出口は狭く」だ。低い敷居を沢山の人々に跨がせてスロープを上がらせながら高所にまでひとを導く。例えばぼくはくまの『ママ』、例えばCan't Wait 'Til Christmasの『大切な人を大切にする それだけでいいんです』などは、その楽曲中最もエモーショナルな歌い回しでありかつ楽曲の最後の最後に出てくる。ヒカルはそうやって自分の言いたいことを言ってきたのだ。勿論常にそうである訳ではなく、Be My Lastなどはいちばん言いたい事即ち『かあさん どうして 育てたものまで 自分で壊さなきゃ ならない日が来るの?』の一節を楽曲のアタマのアタマにもってきていたりする。尤も、それだけ不躾になれるのはこの曲が意識的にPopsの範疇から外れて作られたからだ、ともいえるのだが。アタマからいきなりいちばん言いたい事を言い放つのは宇多田ヒカル流Popsの礼儀ではない。

そんな訳でPopである事が求められる、3部作最終曲のキプトラに於いては、言いたいことであればあるほど歌の後半に登場するとみてよい。実際、いちばん言いたいこと「みんな頑張れ」即ち「お父さんお母さんお兄ちゃん車掌さんおよめさんkeep tryin', tryin'」は本当に最後の最後にならないと現れないんだから。

そんな訳で歌詞のストーリーと音韻構造の成り立ちを考察するにはなるたけ後半の、それもシンプルでメッセージ性の強い一節から入る必要があり、今回取り上げたパートにおいてそれは『〜退治したいよ』の部分である訳だが…今日はここまで。今回は全然話が進まなかったなぁ。続きはまた次回。すまんことです。