無意識日記々

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コインの裏の裏を思って創った歌

さて、キプトラにはもう一つの側面、"既存の応援歌のパロディ"というのがある。邦楽でチャートに載る歌の歌詞は大抵昔は恋愛もののみだった。それにいつしか"人生の応援歌"的な歌詞が若者を中心に台頭をはじめ市民権を獲得しラブソングと二大勢力を形成するに至った。

2006年初頭といえば、確かにそのテの歌が出過ぎて飽和状態になっていた頃であったりもして、ヒカルがその風潮を風刺するパロディを制作してもなんら違和感のない時期でもあった。

ヒカルがパロディを作って何がしたかったかといえば、極端な話周りはどうでもよかった気がする。まだあの傍若無人なBe My Lastを世に送り出して魔もない頃。世間の風に迎合したり反発したりといった事はなかっただろう。恐らく、そういった世情を"利用した"というのが最も近い気がする。

応援歌が氾濫する世相を利用して何がしたかったのか。多分、応援歌を作りたかったのだ。そのまんまである。そのまんまだからこそ、一度離れて眺めてみる必要性があったのだ。

もっと踏み込んでいえば、そういう風潮の中では本気で人を応援するような歌には滅多に出会わない。その殆どが何らかの模造品である。そういった模造品のパロディとは何かといえば、本気で人を応援する歌だ。コインの裏の裏は表、とでもいわんばかりの。

元々、Parodyという曲において『きっと他人にはFake Story』『でも自分にはreal story』と歌っている位なので、"real"を表現する為に"fake"を一度通過して表現の足場を固める、という手法はお手のものだったのだ。実際、そういうややこしい背景を忘れLIVEでキプトラを聴いた時には、ヒカルから目一杯励まされている気がした。皆さんはどうだっただろうか。しかしそれ以上に、ヒカルがヒカルを励ましていたようにも思うのだが。

いずれにせよ、もう6年も前の話である。今と当時とでは光を取り巻く環境も異なっているだろうし、考え方や感じ方が当時と同じとは限らない。しかし、当時UTADA UNITED 2006で歌われたキプトラによって、私の人生は確実に励まされている。少なくとも私にとって、Keep Tryin'は真の人生の応援歌で間違いない。みなさんは、どうですか。