無意識日記々

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ウェルカム・新しくて古い人たち

キプトラ10周年。いい曲だとは思っていたけれど、アルバム発売後すぐに催されたコンサート・ツアー「UTADA UNITED 2006」でラス前というかなり重要な(いちばん盛り上がる)場面で歌われるまでになるとは思っていなかった。まるでツアーのテーマソングのようだった。

この曲が示したのはアーティストとしての「体質」である。宇多田ヒカルが誰に対して何を歌うか。お兄ちゃんやお嫁さんや車掌さんに対して歌うのだ。それである。

つまり、ヒカルは、自分のコンサートに老若男女誰でもが訪れる事を想定していた。ファミリーでもカップルでもぼっちでも。みんな来ればいいと思っていた。若い人だけとか年寄りだけとか男だけとか女だけとか日本人だけとか音楽をわかってる人だけとかそういうの一切無しで、ドレスコードも資格試験も円盤の多々買いもなしで、チケット代金さえ払えれば誰でも来ればいいと思っていた。事実、来た。

それが宇多田ヒカルの「体質」である。どうしても、ある。カップルで行かないと敷居の高いコンサート。屈強な入れ墨をしたアメリカ軍人学校大挙するコンサート、などなど…"行きづらい"コンサートは幾らでも存在する。キプトラは、そうではない、誰でもウェルカムな、特に、ファミリー的な層にウケがいいような歌だった。段ボールで作り上げたメルヒェンちっくなPVもそのイメージに沿ったものだ。


今度はそれに拍車が掛かるかもしれない。朝ドラを見て気に入った人たちがやってきたとしたら?である。

宇多田ヒカルは不思議な人で、誰もが名前を知っている(そろそろ若い子たちには通用しないかもしれないけれど)のにもかかわらず、歌をまともに聴いて貰えてないケースが余りにも多い。顕著なのが音楽ファンで、「J-popなんて聴かないよ」とハナから相手にしていなかったりする。また、ヒカルのパブリック・イメージが誤解だらけだったりもして、その誤解の向こう側から覗き込んでいる人たちは「ああ、自分たちとは関係なさそうだ」といって歌に耳を傾けていなかったりする。

したがって、今回の朝ドラで「初めてまともに宇多田ヒカルの歌を聴く」という人は存外多いかもしれない。一曲も、というのは極端にしても、AutomaticとFirst Loveで止まっている人はかなり居る筈だ。私だってEXILEはZOOのChu Chu Trainのカバーで止まっているのだから(彼らが幾つ賞を貰ってきたと思ってるんだか)、興味の無い人なんてそんなもんである。

彼らは、キプトラなんて多分知らない。ヒカルがウェルカムで親しみ易い「体質」を持ったアーティストである事を知らない。勿論、第一に曲調と歌詞によるのだけれども、ヒカルが多くの人々から新しく「こんなに親しみ易い歌を歌う人だったのか」と驚かれる可能性がある訳だ。そして、それをキッカケとしてコンサート・ツアーにも行ってみようかなと思ってくれる、本来ならファンになって然るべきだった、ヒカルの名前は知っていたけど歌は知らなかった“新しくて古い人たち”がやってくる、かもしれないのである。そうなった時の為に、「年上でも新しくやってくる人たちは大歓迎」という雰囲気を、我々ファンが自覚的に醸していった方がいい事は、いうまでもないだろう。高齢化社会で、新人さんの年齢なんてのは考える必要ないのでござるよ、ニンニン。