無意識日記々

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それにしてもエジプトって一体…

「日本語で歌う事」を何度もテーマとして取り上げている。インターネットのお陰で文化がグローバル化し、ありとあらゆる情報型エンターテインメントが日本語に翻訳され、日本語から翻訳されて出て行く。その中で最も"保守的"なのが歌な訳だ。日本でしか通用しない、とまで言うのは言い過ぎだとしても、日本語の知識がないとやはりごらく性は半減するだろう。

歌と同じくらい"保守的"なのは、俳句や短歌、駄洒落の類だろうが、歌はそれらを総て包含しているともいえる。

"言葉遊び"の妙味は、他国語圏の人たちには伝わり難い。日本語で"見ザル・言わザル・聞かザル"と言って目を隠したサルと口を閉ざしたサルと耳を塞いだサルを見せれば一発で意図が伝わるが、そのまま翻訳して"Never see, say, and hear"と言って件の3匹のサルを見せても何のことかわからない。一方、英語で「One sheep, two sheep, three sheep...」と数えてくれれば「One sleep, two sleep, three sleep...」と聞こえるようにsheepとsleepを掛けているんだと何となくわかるが、日本語で「羊が一匹、羊が二匹、羊が三匹、、、」と言われても何のおまじないなのかさっぱりわからない。駄洒落は翻訳にとって難関なのである。

ところで、羊といえばユダヤ人のエジプト脱出、そう、EXODUSを記念して行われる祭では羊を生け贄として捧げるらしい。十番目の災厄を避ける為なんだとか。

更に、前述の「見ザル言わザル聞かザル」のルーツは古代エジプトにまで遡れるんだとか。駄洒落だからといって日本発祥という訳でもないらしく、Wikipediaによれば三匹の猿(三猿)を用いた戒めの言葉は世界各地にあるのだと。日本語の駄洒落から来たものだとすっかり思い込んでいたのだが、なんともまぁ希有なことがあるものである。

逆から考えてみよう。もしかしたら、日本語の駄洒落や音韻から出発した言い回しや節回しが、三猿のように何らかの普遍性と交錯したり、或いは初めて辿り着く為の契機としてはたらいているとしたら…ワクワクするような、ゾッとするようなだが、日本語で歌を作って歌うという行為も、何か極めていけば"保守的"な何かからより普遍的な高みへと上っていけるのかもしれない。そんな風に考えられれば、ヒカルも幾ら世界中で売れようが日本語で歌を作って歌うことをやめるようなことにはならないだろう。それにしてもエジプトって一体…。