無意識日記々

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セナカアワセ

光がいつ戻ってくるかは、たぶん光にもわからない。というか決めていないんだと思う。期間が決まっているのなら最初に隠さず発表してしまうだろう。それを言わないのだから、不穏な言い方になるが、今の光に戻ってくる気はない。

それでも"引退"宣言にならないのは、「いつになるかはわからないが、きっと帰ってくるだろう」という"感覚"が光の中にあるからだ。期限が決まっていない事を隠さないのだから、その"感覚"が内にある事も隠す必要はない。

それは、ある程度まではファンの心理と同じだ。いつになるかはわからなくてもきっと帰ってきてくれるだろうという光に対する"信頼"がファンの側にはある。光の感じる確かな感覚、即ち確信と、我々の抱く信頼は表裏一体である。となれば抱いている不安も、恐らく相似形を描くのではないか。

不安より焦燥の方が大きいかな。ここらへんはよくわからない。29歳の御姿と歌声が記録されない事を"勿体無い"と感じる向きもあれば、世代交代の中で、忘れ去られまではいかなくとも風化したり過大評価されたり過小評価されたり誤解されたり曲解されたりといった事に不安を感じる向きもあるだろう。それは、光も同様だと思われる。彼女自身も、帰ってきた時に覚えていて貰えるだろうかという不安と、きっと待っていてくれるという感覚と、両方があるだろう。

そして一部のファンに対しては、「あぁ、こいつらには何言っても無駄だ。ずっと待ってるんだろうなぁ」と半ば呆れ気味に感じているのではないか。そういう意味では呆れられていたいような。何ものも盤石ではないとはいえ、この「何言っても無駄」感は、光が今までにしてきた事の尋常ではなさを裏付ける。暗示だろうが思い込みだろうが勘違いだろうが、そこまで思い詰めさせるには某かのパワーが要る。そういう意味ではこの"呆れ"は寧ろ過去の自分の成果への"恐れ"に転化するかもしれない。

間隔があけばあくほど、その過去の自身の業績が重くのし掛かってくる。解決策は最初っからシンプルに決まっていて、「気にしない」一択なのだが、ただ復帰を決意する瞬間を鈍らせたりはやまらせたりする効果はあるかもしれない。怯んだり、焦って取り戻そうとしたり、そこは実際にそうなってみないとわからない。

待っていてくれるという確信と、それと裏腹な重圧。いずれも、減じていくにせよ変わらないにせよ高じていくにせよずっと背中合わせのまんまだろう。そう開き直れてしまえば、復帰なんて"自分の好きな時"に決めてしまえる。それがまぁ理想かな。なので我々も、寂しいのはわかるが自然体に忘れたり忘れなかったりしていればいいと思う。時が満ちればそれは自然に、Automaticにわかることだから。