無意識日記々

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ripped, wrapped and trapped 01

もう何度も言っている事だが、今の御時世「アルバム」という単位で音楽をリリースするのが適切かどうか、問うた方がいいような気がしている。

00年代中盤以降の着うたの隆盛は、つまり楽曲を1曲未満の単位で切り売りした事によって生じたものだった。着信音という枠組みで売れば、極一部分でも商売になる、というか寧ろそっちの方が売れたのである。数え方は兎も角として、Flavor Of Lifeの売上ユニット数はヒカルの全カタログ中でもぶっちぎりである。オートマやキャンシーでもまるでかなわない。ある意味、それは"シングル"以下の"パーツ"だったのに、そちらの方がニーズがあったのである。これは、携帯機器の普及が何より大きかった。手元にあるものが何か鳴るだけなら数十秒あれば必要にして十分だったのだ。

で、アルバムの話だ。アルバム1枚60分12曲とかだとして、みなさんはいつどこでこの全体を通して耳を傾けるだろうか。アナログ・レコード時代はステレオの前で、だった。椅子に座って茶や酒でも飲みながら、ジャケットを開いて歌詞を読みつつ、なんて感じだったのではないか。或いは部屋で家事の片手間に、といった事もあったかもしれない。部屋の中でやや構えて、という風だったろう。

これが、カセットからCDへと変化していくと様子が変わってくる。ラジカセやウォークマンなんかが登場して気軽さやポータビリティーが増えた。それとともに、聴かれ方もカジュアルになっていった。特にCDになると、気に入った楽曲だけをピックアップして聴く、という行為が普通になった。着うたが楽曲を切り売りを可能にしたのに対し、CDはアルバムの切り売りに拍車をかけたのだ。便利になればなるほど、身近になればなるほど作品は切り刻まれて気に入られるパーツの単位に分解されていった。

そして今はもう音楽は携帯プレイヤーに全て放り込まれ、シャッフルされるかプレイリストに組み込まれるか、だ。「トータルアルバム」なんて、概念の存在すら知られていないかもしれない。こうなってくると「なんでアルバムなんか出す必要があるのだろう?」という気になってくる。

ヒカルのバックカタログも、売れるのはシングルコレクションであってオリジナルアルバムではない。お求め易さの違いもあるだろうが、そもそも曲単位で判断されるアーティストなのだから曲の集合体として作品を見られるのは当然の事だ。

切り売りが進んできた一方で、全く反対側の考え方をする層も居る。総てをよりトータルに考える―即ちパーツより曲、曲よりアルバム、そしてアルバムよりそのアーティストの活動全般の流れ―そういった観点である。当Blogは早い話がそっちの流派である。

なんだか前フリばかり長くなってしまった。次回へと続く。