無意識日記々

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本田君(@Superhikki)からツイッターで「(UtaDAは)本当に成功したって思ってるんですか?」と質問(詰問かな)があったので答えてみようかなと。140字じゃ足りなそうだから。

先に答だけ書いておくと。「私個人は、成功とか失敗とか考えた事もない」という返答になる。自分以外の人間がUtaDAの活動を成功だの失敗だのといった語を用いて評価している現実は知識として知っているし、それについてもかなりコメントしてきたが、それらは私の思考ではない。

単純に、成功と失敗という語は、明確な判断基準があるか、或いはより明確な判断基準を設えようという方向での努力が永続的に報われるようなケース、即ち判断基準の厳密性が漸近的に上がるような場合にのみ用いるものだと私は考えているからだ。棒高飛びで棒を落とさずに上を越えたら成功、棒を落としたら失敗、という風に。

しかし、音楽活動に関してそんな明確な基準は存在しないし、また存在し得ない。更に私についていえば欲しいとも思わない。作品に実際に触れて自分が何を感じそれを契機として何を為したかといった事には興味があるし、話も出来る。しかし、それについて成功云々を訊かれても、一体何の話をしているのかそもそもわからない。

つまりは、話がくどくなってるけど、私には元々そういう発想がなかったのである。好きな歌を見つけて、聴いたりくちずさんだり、歌詞を書き写したりといった音楽の楽しみように、成功も失敗もない。無理にそういう基準を当てはめるなら、誰かに気に入ってもらえたのならそれは成功だろうが、なんか別にそういう言い方する必要もない気がする。

勿論、「オリコンTop3以内に入らなければ解散」みたいな明確な基準が事前にあったのなら成功と失敗の判断は出来る。しかしUtaDAに関しては、光は事前に確たる目標や目処は語らなかったし、そもそもそんな設定は音楽を創造する上で必要不可欠でもない。役に立つ事はあるけれど。私も特に何の基準も設けなかった。どうなるかには興味があったし、こうなるのではないかと予想を楽しんだりはしたが、「こうなって欲しい」という点に関しては、いつもの通り「一人でも多くの人の耳に届き、一人でも多くの人の心に届いてくれたら」という事以外には殆どなかった。本当にそれだけなのだ。

またも無理やりに成功失敗という語を使えば、人の数だけ成功と失敗がある、という事になる。結局はひとりひとりが光の歌を気に入ってくれるかどうか、それだけなのだ。

そういう基準で成功失敗を語るならば、First Loveアルバムは史上最大の大失敗アルバムである。あのアルバムからの曲を歌った番組は視聴率30%がどうのという事だった。単純に言って3000万人以上の人の耳に届いたのだ。しかしアルバムは750万枚しか売れなかった。75%もの人間がNOを突き付けたのである。ここまで拒否されたアルバムは史上他にないであろう…と、こういう変な話になる。幾ら何でもおかしい。つまり、私のような価値観で音楽と音楽家を語るにあたって、棒高飛びで使う用語である成功とか失敗とかいう語を持ち出す事自体が間違っている。勿論屁理屈だが、世の中の理屈の総ては屁みたいなものだ。誰もが一瞬顔をしかめて「イヤなものをみた」と言ってその場を去っていくのだから。

あら、言いたい事の半分もまだ書いてないや。まぁいいか、ここらへんで切り上げておく事にします。