無意識日記々

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Crossing Deep River By Ferry

前回は駆け足で振り返った為書き方が荒かった。ちょっと補足。ボヘサマ2000は夏場に行われたので、その頃には既に、後にDistanceアルバムに収録される曲の半分がシングルとしてリリースされていた。なので2ndの曲が総て不遇という訳でもない。あクマでフルスケールのショウをやるには曲数が足りなかった、2nd発売後にコンサートをやればちょうどよかったのに、という話だ。

さて、そのDistanceが発売された後唯一行われたライブイベントがUnpluggedだった。ライブといっても基本的にはTV番組の収録だし参加できたファンも極限られた人数だったから、意義としてはヒカルのアーティストシップに関する点に注目がいく。

元々Unpluggedという米国MTVの企画は、何もかも豪奢に派手になっていった80年代の文化の反動として世に出てきた印象がある。その80年代の文化を形成したのもまたMTVであった訳だが、それに対するカウンターカルチャーを提示したという意味においてUnpluggedもまた"オルタナティヴの90年代"の申し子だった。その為、ヒカルが2001年に歌う頃にはUnpluggedの定式や伝統みたいなものが既に定着していた。既存の手法を遂にヒカルが採用した、という感じなのか。

読者にとってはどうでもいい話かもしれないが、筆者個人は"Unplugged"というコンセプトをあまり評価していない。というのも、ひとのことばを借りれば「マイクを使っている時点でUnpluggedじゃない」から、だ。いずれにせよ電気を通して音を増幅させるのならば、ただエレクトリックギターとシンセサイザー抜きで既存の曲をリアレンジする、という以上のものではないからである。コンセプトを評価していないというより、"看板に偽り有り"と思っている、と書く方が妥当かな。

なので、Unpluggedのミュージシャンシップについての意義は、アコースティック・サウンドそのものよりそのリラックスしたセッティングにある、と私は解釈する。名言「スナックひかるへようこそ」は、その状況を端的に表現したものである。

時は2001年7月21日。照實さんの誕生日に開かれたこのライブは、FINAL DISANCEの制作直後に開かれたものだでた。この曲をナマで歌う為にこの場が設けられたといっても過言ではない。お誂え向きにストリングス・チームも大勢フィーチャされていた。渡りに船とはこのことだ、と当時も思ったし今でも思っている。運命を引き寄せる力を、この楽曲は持っていたのだ。続く。