無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

見せること

FINAL DISANCEは、何度も繰り返し指摘してきたようにボーカル/ピアノ/ストリングスの三位一体が魅力の曲である。メロディーと歌詞はDISTANCEと大体同じであるのだからどういう編曲を施すかが鍵になるのだが、この時はまるで「FINAL DISTANCEという"答え"に辿り着く為にまずDISTANCEが必要だった」ように感じられた。それ程までにこの曲の居住まい、"姿"は美しい。この曲の特別さは特別である。のちにヒカルはFlavor Of Lifeでもバラード・バージョンを制作して大成功を収めるが、それもこの時の経験があったればこそだ。

その特別に特別な楽曲を、完成したばかりの時期に、大人数のストリングス・チームとグランド・ピアノが設えられた舞台が出迎えるだなんて出来過ぎである。しかも、そのステージ・コンセプトは「スナックひかるへようこそ」、飾らない素のヒカル、普段着のヒカルを見せる事にあった。これもFINAL DISTANCEの元々のコンセプトに合致する。DISTANCEからビート、リズムを抜いて"裸になった(get naked)"のがFINAL DISTANCEなのだ。確かに、あの絢爛豪華なPVのお陰でこの曲にはスケールの大きさがイメージとしてつきまとうが、まずはガードを脱ぎ捨てて素材を剥き出しにする所にこの曲の妙味があった。DISTANCEからFINAL DISTANCEに至るスピリットは、まさにエレクトリックの鎧を脱ぎ捨てて楽曲の素材と歌のよさで勝負しようという"Unplugged"の精神そのものだったのだ。

メイキングによればどうやらこの企画はU3側からの提案でもあったようだが、それにしたってタイミングが合わなければMTV側からもGOサインは出まい。恐らく、この曲のレコーディング時同様、幾つもの偶然が折り重なって必然的にここに辿り着いたのだろう。運命を手繰り寄せる楽曲の力がここにはあったのだ。

そして、それは出来るだけ"素の自分"を見せるヒカルのチャレンジの幕開けだったともいえる。その試みはすぐさま"光"という、自らの本名の漢字を冠した楽曲の発表に結びついた。この流れを作るには、一度でいいからFINAL DISTANCEを人前で披露する機会を得る必要があったのだ。"見せる"というチャレンジに挑むからには、本当に見てもらわねば。総てが裸になった美しい楽曲FINAL DISTANCEをファンの目の前で歌う事。その時のヒカルの歌唱は、ビデオを見てうただければ瞭然と思うが、一節々々大切に大切に歌っている。ここまで大事にされて楽曲も幸せだろう。その溢れる気持ちを斜に構えることもなく冷笑的に捉える事もなく、真正面からありのままの素朴な歌う姿を人前で"見せる"事で、ヒカルはより自分自身を楽曲に投影する方向へと進んでいく。FINAL DISTANCEとUnpluggedは、その分水嶺となる大きな通過儀礼、passageであったのだ。(続く)