無意識日記々

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井川系

もしかしてヒカルって世間じゃ「出戻り大リーガー」みたいな見られ方してんじゃないか、と最近の井川復帰のニュースを見ていてふと思った。一旦大リーグに移籍してもう一度日本球界に戻ってくる例もぽつぽつ見られるようになったが、大半を3A以下で過ごしてきて今季パ・リーグにやってきた井川は「全米進出は失敗したけど、まだまだ日本じゃ通用する」みたいな評価になっている感。こういうイメージと重ねられると危ういなぁ。

一度でも全米1位を取れば話は変わるんだろうな。しかしもう今は2012年。5桁枚でも1位を取れる週があるビルボードで上位に名を連ねるのは現実的な目標である割に随分と手間暇のかかる仕事になりそうだ。それに、ヒカルの単発で終わる予感がプンプンする。野茂英雄が海を渡った時はどんどんと後続の選手が現れた。ああいう現象にはなりそうもない。SFジャイアンツでメジャーの舞台に立った村上雅則が時期尚早だったように昔の坂本九一発屋で機は熟していなかったといえるが、半世紀経っても未だこちらは村上の時代のままなのだろうか。

時々、日本は本気で鎖国した方がいいんじゃないかと思う事がある。地理的にも隔離されているし、それがそのまま"日本語圏"になっている。インターネットの世紀になったお陰で流石にシリアスなイシューにはなりそうもないが、独自語圏が他と混ざり合わないで生じるメンタリティが鎖国志向に傾くのは何か自然な流れだ。いや勿論輸入盤も買えなければ来日公演もない日々なんて私はまっぴらゴメンですけど。

世界全体を舞台としてみた時、才能の"流出"という概念は"配置"に変わる。然るべき位置に配されるという事だ。光がその才能を発揮できる世界の中での位置とはどこだろう。どこでもいいといえばいいんだが、だいたい同じボールを投げて打って走って獲ってのスポーツとは違い、毎度々々言っているように日本語という枷に絡め取られた活動は世界に羽ばたきにくい。そしてその鎖国的な"内と外"の概念がまたジレンマを発生させる。この構造自体が、"外"での活動の評価を成功と失敗の二極に色分けする。外部からの異物となった瞬間、ひとは恐怖や不安をもとに思考を短絡させるからだ。そうでないなら、"まずまず"とか"ほどほど"とか、言ってられるんだけどねぇ。

日本のマスメディアの皆さんにとって、英国ってどんな位置付けなんだろう。対米のような憧れの亡霊を引きずっていない分、やりやすいかもしれない。まぁまだまだ何もわからないね。私だって今こうやって日本語で書いちゃってるもんなぁ。英語で書いたら…いや、書けないですけどね。(笑)