無意識日記々

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不安が話を大きくする

漫画「ONE PIECE」についていちばんの懸念材料といえば、人気に陰りが出るか否かとか劇中の展開がどうとかより、なんといっても「果たして作者の存命中に作品が完結するか」だろう。グインサーガを未完のまま逝ってしまった中島梓のような例もある。「ちゃんと終わらせてくれよ」と読者の誰しもが思っている。

私にはもうひとつ懸念材料がある。社会情勢だ。戦時中、野球の用語が総て日本語になった話は有名だろう。英語、外来語、カタカナ語は敵国の言葉だからと規制されたのだ。何とも馬鹿馬鹿しい話だが、当時を生きていた人たちにとっては至って真面目な問題だったろう。社会が歪むとそこまでするのだ、人間は。

自由に創作が出来る環境。尾田栄一郎の健康や寿命よりそっちの方がよっぽど危ない。漫画なんて題材次第でカンタンに規制されてしまうだろう。

流石に時代が違う、例えばコンピューター言語は総て英語ベースじゃないかとなる。インターネットのある今鎖国は難しいだろう、と。何だお前らぴゅう太を知らんのか、という反論はいいとして、カタカナ語が規制されなくとも幾らでもやり方はあろう。人間の馬鹿さ加減を舐めてはいけない。

あとは、前々から言っているが、逆に日本語圏が崩壊する危険性もある。こちらは全く実感としての懸念ではないように思われているだろうが、国なんていざとなったらすぐポシャる。世迷い言とまでは言えないだろう。

幸い、ヒカルの活動はどちらに転んでも抜け道がある。英語を禁止されたら日本語で歌えばよいし、日本語が廃れたら英語で歌えばよい。この国にうんざりすればアメリカだってイギリスだってイタリアだって好きな所に住める。どこかに自由を探し、そこで歌えばよい。何もかも失っても、たった今から始められるのが歌のいいところ。勿論、発声と聴覚が失われたら無理が出てくるんですが…。


…時々、こういう大局的な事を書く。しかし、これは普段の生活で感じる不安そのものだ。蛇口を捻る度に思う。水が出てこなかったらどうしよう、お湯が出てこなかったら大変だ、と。電気やガスが止まったり、インターネットに繋がらなくなったり。古今東西の震災等に巻き込まれた経験のある人なら感じた事があるかもしれない。

その延長線上にある。ヒカルが(健康上はなんら問題がないのに)歌えなくなったらどうしよう、と。そんな時にヒカルがコスモポリタンである事を思い出し、安堵する。そして、自分がそうやって自由に表現を享受できる事に感謝してまた日々を生きていけるのだ。大局的といっても、その程度の事である。

だから、耳の健康は不安と心配ばかりなんだが、だからといって小さい音量ばかり聴いているつもりはない。高い音なんて歳とったら聞こえなくなるんだから今のうちに目一杯聴いておきます。耳を大事にし過ぎて今聴こえてくる歌さえ塞いでしまうのは避けたい。なんだろう、比喩かな。

ヒカルは戦うだろうか。大人しく従うだろうか。他の国に行くだろうか。アテなんかひとつもないけれど、ヒカルがこの国を見捨てたら自分も見捨てようと思う。宇多田ヒカルに嫌われる国なんて滅んだ方がいいのだから。これだけたくさんこの国を元気にしてきてくれた人に対してあだで返すのでは、どうしようもない。逆に、最後までこの国と共にというのなら一緒に残ろう。まぁ、それだけだ。

不安は話を大きくする。幽霊の正体見たり枯れ尾花、だ。なんて事はないのである。今日もインターネットに溢れる罵詈雑言を遠くに眺めながら、この国がまだまだ平和である事に感謝しておきたい。流石に、一朝一夕で事態が激変するとは思ってないけれど。