無意識日記々

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フレーフレーフェミニズム

たまには余計なこと書くか。

昨日取り上げた『PINK BLOOD』と『キレイな人』の歌詞は、特に頑張る女性たちによく響く気がする。フェミニズムと親和性が高い。

ヒカルの初期のメッセはウーマンリブ(ウィメンズ・リベレーション)を感じさせる文章が結構あった。最たるものがキリスト教創世記への嫌悪感についてで、最終的には『You Make Me Want To Be A Man』のプロモーション・ビデオを制作するまでに至るのだが、そう考えると昨年のノンバイナリ発言は思えば遠くへ来たもんだ感が半端ではない。

ヒカルのインスタグラムの『she/they』表記にみられるように、ノンバイナリとしてのアイデンティティと共に、一方で女性的な面もそれはそのままあるのだという意識が垣間見られる。『Find Love』が資生堂にて「女であること」を押し出すイメージ戦略の中で鳴り響いているのだから、『キレイな人』が女性たちを応援する歌になっていくのも自然な流れだろう。

ただ、日本語圏ではフェミニズムという語句が難しいことになっていてね。特にフェミという略語は蔑視表現になるらしい。ジャパニーズをジャップと言うようなものなのかもしれないが、昔私が「ホモ」という言葉を使ってそれは差別用語だと注意された事を思い出す。私はもうただ単純にホモセクシャルの略語としてヘテロ(・セクシャル)と併用していた語だったのだが、確かに現実としてホモという言葉は差別表現として使われていた。場の文脈について浅慮だったのは反省するしかなかったが、フェミという言葉にも同じ状況が訪れている気がする。フェミニズムという語にはなんら差別的含意がない(どころかそもそも差別を解消しようという思想だ)のに、略語のフェミは差別用語として機能しつつあるという。

いや実際、現実も難しい。海外からLGBTQ+の概念が入ってきてジェンダーが相対化されていく中殊更女性性を強調するのはどうなんだろう?となるターンも見えつつある。ただ、ここは幾ら強調してもし切れないのだけど、それはあクマで国際的な視点の話で、日本語圏における女性差別は依然桁外れに甚だしい。各種国際調査でもそれは示唆されているし、第一、令和の今になっても入学試験で男女不平等を推進していたとか、それ戦前の女性に選挙権なかった頃の話?と思わせる信じられないようなエピソードが全国ネットで報道される、そんな惨憺たる事態なのだ。LGBTQ+の多様性なんて夢のまた夢という残念な状況。

その状況の反映としてフェミニズムへの蔑視と圧力がある訳で、ヒカルが、『キレイな人』に於いて日本語の歌でシンデレラ・モチーフを23年越しに使ってきたのも、同時代性として全然まだまだ意義があることなのだった。うんざりする話だが、23年経ってもやっぱり日本語圏での女性差別解消度は極めて不十分で。おぃそこの男子、アファーマティブ・アクションにプー垂れてんじゃないよ?

ノンバイナリ発言という国際的なLGBTQ+意識の高まりを睨んだ言動をする一方で、日本語で女性たちを応援する宇多田ヒカルを私は全面的に賛同し応援したく存じます。

もちろん、『PINK BLOOD』も『キレイな人』も、いつものとおり性別年齢関係なく響くように作詞されているので、女性云々にこだわらる必要もまたなくて。なのでどんな皆さんもじゃんじゃん励まされちゃってくださいね☆