無意識日記々

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怖い距離、怖くない距離

距離、と一言で言っても心理的距離と物理的距離の2つがある。ヒカルの歌詞の場合、その2つを余り区別せずに、というか意図的に絡めながら描いている節がある。

そこらへんの心の機微は

『もう二度と会えなくなるわけでは
 断じてないのに 考えちゃうよ』

の2行に表現されている。物理的な距離は2人の絆を揺るがすものではない、と言いつつも、引っ越しによって空間的に離れる事をキッカケにしてどうしても思う事が出てくる。寧ろ、引っ越しというイベントを通じて、「あれ、何も変わらないじゃん?」と実際に気付いた点が重要なのだ。失って初めてそのモノの価値に気付く事は多いし、歌の歌詞でも定番のような気がするが、この場合、失って初めてそのモノの無価値を思い知ったのだ。あぁ、別に近くに住んでていつでも会えるから親友やってた訳じゃないんだ、と。

それに対して、DISTANCEでは
『二人でDistance縮め』ようとする。I wanna be with you now, we should stay together, 2人で一緒に居るべきだ、と。

こちらのDistance、距離とは基本的に心理的な距離について歌っている。

『気になるのに聞けない
 泳ぎつかれて 君まで無口になる
 会いたいのに 波に押されて
 また少し遠くなる』

これを終始心理的な表現として解釈するなら、最初の泳ぎつかれては、まぁ例えば世間の荒波に揉まれて心が疲弊している、という感じにまずはなる。気になるのに聞けない、君まで無口になる、といった表現からは2人が物理的には近くに居る事を示唆している。したがって、ここで『会いたいのに』という言い方で示唆しているのは、2人の心理的距離に隔たりがあり、目が合わない、声が届かないといった心境だ。それをまとめると冒頭の『気になるのに聞けない』の一行になる。

つまり、Making Loveは物理的距離が離れても心の距離は離れない、と歌っているのに対し、DISTANCEはこんなに近くに居るのに声が届かない、届けられない、と歌い始めるのだ。実に対照的、対称的である。

その届かない"距離"に対してどうするか、という話からまた次回。