無意識日記々

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30いやーず・あごー

光、元気みたいだね。よかった。日曜日に6000RT近くも稼ぎフォロワー数も一気に90万を突破するなど"有名人"らしい影響力を発揮してくれたが、やはりこの、人の気持ちの流れをよく把握した、というか流れの中に在る感覚を全く失わない所が気を引くなぁと痛感中。いやはや、変わらんないねあんたも。そゆとこは。

この影響力がどれだけ大きいかは絶え間ない"拡散希望"メンションによっても感じ取れるし、日々のNow Playingツイートの途切れなさもその証だろう。全体的に、その影響力に注視する人は"J-Popの良心"としての宇多田ヒカルの復活を望んでいるようだ。そういえば"J-Pop"という呼称は1993年サッカーの日本国内リーグ"J-リーグ"と連動するように生まれてきたと記憶している。今の若い子たちがこの呼び方を普段使っているかは定かではないが、こちらの世代には20年来馴染みのある名称だ。それはつまり、アイドルと歌謡曲が全盛だった80年代から"自分たちの(世代の)音楽"として(かなり商業的な匂いを色濃くしながら)生まれてきたジャンルであり、国の経済自体はバブル崩壊で停滞期に入ったというのに過去に例がないほどに音楽ソフトを売りまくった時代でもあった。

ある意味、その90年代は短期間の異常な時期に過ぎなかった、と言えなくもないのだが、その大トリとして登場した宇多田ヒカルが"J-Pop最後の良心"的な見方をされるのは致し方ないのかもしれない。

そして今、00年代10年代は80年代にも増してアイドルの全盛期である。中身を見てみるとジャニーズとAKB関連が圧倒的だが、ジャニーズは90年代も変わらず売れ続けていたし、AKBのブレインである秋元康はその80年代におにゃん子倶楽部(あれ、どんな字面だっけ…)を仕掛けた人物だ。前に出て歌って踊る子たちは時代と共に入れ替わっても、ブレインは20年前、30年前と変わっていないのである。これがテレビ番組の方がもっとわかりやすく、あちらは司会を任される人間のトップが90年代に定着して以降20年間変わっていない。次の"若手"の世代が冠番組を持つには40代になるまで待たなければいけなかった。結局この20年どころか30年活躍している人達が今も元気だったりする訳だ。

そう考えると、あまりそちらの流れではなかった"J-Pop勢"があそこまで隆盛を極めたのは奇跡的だったとすら思える。事務所がどうのという組織的バックアップを持たずに売れたケースも多い。ヒカルなんかその究極なんだろう。

色々考える事が多いな。この10年のCD不況というのは、90年代の異常さを基準にしての事であり、松任谷由実以外100万枚を売る事など夢のようだった80年代に戻っただけという見方もできる、とは当欄でも繰り返し書いてきたが、元々90年代に売れた人達が"個々の力量"で売れていたのなら、今の時代にまた売れても何等不自然ではない筈だ、という見方もまたできる。現にミスチルは一週間で70万枚×2を売ってみせた所だ。昔に較べれば減っているとはいえ、これに準ずる規模で次が続いてもおかしくはないだろう。

とはいえ。では宇多田ヒカルが"復活"したからといって、そんなに売れるのかな〜という話からまた次回。