無意識日記々

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"一世一代の大勝負"

今日から卓球のブラジルオープンが始まる。殆どメディアの報道はないだろうし、現地でも毎年観客のあんまり入らない大会ではあるが、今年に限っていえば福原愛にとって一生を左右すると言っていい試合になる。これで世界ランキングによって決まるロンドン五輪のシードが最終確定するからだ。シードを取れるか取れないかは天と地ほども違う。まぁ、幾らシードをとったからといって本番で負けちゃなんにもならないけど。

五輪のメダルを取るか否かというのは本当ににその選手の一生を左右するようで、その肩書きの威力は部外者にはなかなかピンと来ない。福原の場合日本からみて地球の裏側で、殆ど声援も受けずに自分の残りの人生を賭けた戦いに挑む。なんだか、そんな場面ってなかなかない。

スポーツ選手でない一般人(なんだろうね、このイディオム)にも、各種試験のように一発勝負で人生を左右される場面はあるにはあるが、五輪のメダルの有無のような紙一重の差で天と地ほどの隔たりが生まれるケースはなかなかないのではないか。しかも、4年に1回だからね。ピークの短いスポーツ選手にとっては千載一遇である。いや福原は3回目だけどもねー。

てな書き出しをしてみたのは、そう、「宇多田ヒカルの今後の人生に、そんな重大な"一発勝負"ってこれからやってくるだろうか?」という疑問がアタマを過ぎったからだ。大抵、大きな仕事を成し遂げた後は後進の指導にあたるとか、或いは我が子を育てるとか、次の世代の大勝負の舞台設置に務め始めるものだが、まもなく30歳というヒカルにとっては、それは流石に早過ぎるのか、或いはもう機は熟しているのか。一昔前の常識でいえばもう出産適齢期は過ぎている訳だが、まぁそれはその世代ごとの感覚があるだろうし何より本人の(いちばんの)自由なのでいいだろう。後進の指導というのも、なんだかまだ時期尚早だ。キャリアと実績は申し分ないが、光の興味がそっちにあるようにも思えない。

とすると、では先に述べたように光の人生に「以後の人生を左右するような大一番」的な何かが待っているという予感も少ない。これだけ名を馳せてしまっては、何かが大きく変わるというのも考え難いからだ。やはりどこか自分が無名な異国の地で…と考えるのもわかる気がする。

ミュージシャンにとっての大一番というのは、やはりデビューそのものだろうか。そこをものにするか否かで、話はかなり変わる。光の事を"デビューマニア"だなんて昔呼んだ事があるが、何度も姿を変えて私たちの前に降り立つ姿はいつだって結局変わらない。その独特な普遍性と"人生を変える大一番"というパラダイムは相容れないのかもしれない。Kiss & Cryで歌われた、喜怒哀楽を爆発させるスポーツ選手たちに向けられた憧憬は、自分もそうありたいと願う心というよりかは、自分と遠い場所に居るひとたちとの距離感から来るものだったのだろうか。それを知るには、まぁ結局引き続き光の人生を注視していくしかない訳ですがね。うちらも変わんないね、そゆところは。