無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

時間稼ぎ(何のかはわからない)

NEWS ZERO』の二回目は20日の木曜日に決まったか。よかったよかった。またニュースで飛んだらその時はその時で。楽しみを後に取っておいているだけだと、思っておこう。

スペシャやテレ朝で同業者たちによる『Fantome』の…絶賛、と言っていいだろうな、数々のレビューを聴いていると、やはり特別な存在なんだなと気づかされる。先週のワイドナショーもそうだが(藤圭子絶賛の流れはヒカル大喜び間違い無しだったな)、ヒカルの話になると雰囲気が変わる。はっきり言って私は気まずい。同じくワイドナショーでまっちゃんが福原愛の記者会見に対して「文句の付けどころが無くて面白くない」みたいな事を言っていたが、それと似た空気を感じる。福原はスポーツ選手で結婚会見だから"他人事"で済ませておけばよいが、歌手の歌の話となると、芸能人たちにとってはいわば"同じ土俵"の話になる為、降参する時はマヂである。数少ない(本当に稀少な)ヒカルと"話せる"才能である筈の桑田佳祐ですら『Fantome』に対して早々に白旗をあげてしまった。昨日日本シリーズ進出を決めた日ハムの4番の中田も大谷の165kmパフォーマンスに対して「馬鹿馬鹿しくなってくる」と呆れていたが、
宇多田ヒカルという存在は多くのミュージシャン、芸能人たちにとって、プロ野球選手にとっての大谷翔平みたいな感じなのだろう。怪物とか化け物みたいな存在だ。

ここまでスケールが大きいと、とっとともっとデカいステージに行ってくれないとやりづらくて仕方がない。気まずいとはそういう事だ。イチローなんか7年連続首位打者という無双を続け過ぎた為、NPB終盤は死球攻めに遭って誰も得しない展開になってしまった。とっととメジャーリーグに行くべきだったのだ。もっとも、彼の場合はそのメジャーリーグに行ってすら年間最多安打記録262本と10年連続200安打という「向こう100年破りようのない記録」を達成してメジャーリーグでもレジェンドになってしまったが。

ヒカルの場合も同様に、才能に見合う器は地球サイズにならざるを得ないが、言語の壁というのは本当に難しい。ノーベル文学賞って各国でどう受け取られているのだろう。いや、それを言ったら医学生理学も化学も物理学も「知の壁」が聳えていて一般市民には直接価値がわからないのだから、それに較べればメロディーとリズムという全人類共通の価値を持つ音楽というジャンルは恵まれているかもしれない。

逆から考えるべきか。ノーベル文学賞は、伝わらない人々が大勢居るから権威付けされるべきなのだと。「わからないかもしれませんがこれは大変に価値のある事なんですよ」「へぇ、そうなんですか」というやり取りが賞の意義だ。とすれば、音楽に賞なんか要らないと言ってもいい。いや、でも、勿論アメリカにはグラミー賞というのがあってその年にもう一度売り出されるミュージシャンが100を超える部門で選出されて…





…といった話は私やっぱり苦手なので、自分の耳に聞こえてくるものについて語ろうそうしよう、って先週言ったとこでしたな、やれやれ。