無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

一度現れただけで既に

全く、これだけ色々ツイートがあるとどれからどこから突っ込んでいいものやら。元々何の音沙汰がなくても順調に(まぁ少なくとも"休まない"という意味に於いてはそうだよね)更新してる人間からすれば、ほんの少しインプットがあるだけですぐさまオーバーフローするのだ。コンスタントなのも良し良しである。良し悪しな訳がない。全部良い。もっともっとどんどん呟け。

そういった総てを見晴らしてみてのいちばんの感想は、もう何度も何度も書いてきている事だから何の新鮮味もないのだが今後も何度でも書くぞ覚悟しておけ、そう、「なんて心の優しい子なのだろう」という事だ。

世の中には偉人として名を馳せた天才たちが山のように居る訳だが大抵人間としてエキセントリックだ。でないと特別な事は出来ない。何かにキョーレツに秀でていれば叩かれたりもするだろうからそれに抗える強さがないといけない。

ヒカルが希有なのは、音楽的才能のみならず(既にそれだけで日本史上唯一無二なんだけど)、そういった、彼女の、偉人に名を連ねるに相応しくない他者への思い遣りの心を持っているからだ。何を今更、と思うが今月の一連のツイートを読んで、普通だったら現実を知って疲弊し色々と諦めていく所を全く揺るぎなく踏ん張っているのだと知れたものだから今又改めてその点を強調したくなったのだ。

光の知性は、したがって、その優しさと思いやり、祈りと願いを心うちに持った小さな小さな女の子を全力で守る為にその思いの数々にカタチを与える為に存在しているかのようにさえ思えてくる。その祈りと願いに沿って読んでみて初めて、そこに莫大な知性の蓄積と公使があった事に気付くのだ。毎度ツイッターを見ていると、@utadahikaru宛てに上から目線で話し掛けている人々が必ず居る。必ず、だ。まぁ私の事なんだけどそれは置いておいても頭のイイ人ほどヒカルに対しての発言は慎重になる。そこに桁外れの知性が在る事を感じとってしまうからだ。

しかし、それでもなお、物事の核心は知性にあるのではなく、その子の優しい心持ちにあるんだという事を踏まえる必要がある。なんなんだろうね、こういう構図は他にない。また、今後も二度と現れないかもしれない。一度現れただけで既に大奇跡なんですけどねー。

あれ、これって次回に続くんだろうか。わかんないや。