無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

国民的トラウマ

昨夜のツイートのフランクっぷりったらなかった。97万人のフォロワーに見られている事などどこ吹く風のマイペース。いや勿論配慮は怠らないのだけれど。

それにしても日本人の英語トラウマはどこまで根深いのだろうか。中学高校と文系理系問わず皆が学習する必須中の必須科目。何故その時間を"日本語"の授業に当てないのか不思議で仕方がないが、国語授業の中身のなさを思い出すにそれも無理な話かなと思ったり…文法の授業あったんだけどなぁ。

@utadahikaru宛てのツイートにも様々なものがあり、中には「どうしてそんなに英語ができるんですか?」という感想もあった。素直な気持ちで訊いたのだろうが、英語圏で暮らす人々は5歳児だって普通に英語を話す。そういう意識が一次的に立ち現れない程に日本での「英語」という存在はモンスターじみた異彩を放っている。ある意味植民地政策が成功したといえるのかなぁ。それはまぁ知らないが。

『科学用語なんかも日本語だとピンと来ない』のは、そうなんだろうなぁ。日本人だって読んだ文献が英語の場合は適切な日本語訳が思い浮かばなくって会話の最中でも英単語がどんどん挿入される。実際、ムリヤリ日本語にした妙な響きの単語よりそっちの方が伝わりやすいし。訳書の中には酷いものがあるからねぇ。日本語で読もうとするだけ無駄っていう側面もあるし。難しい。

しかし今回一番困ったのは"like"で遊ばれた事だ。日本語でいえば「ミタみたいなのまた観たいなみたいな」みたいな事ツイートしてくれた訳だが、こういう言葉遊びはそのまま移植しようとしても土台無理で、ジェイムズ・ジョイスの翻訳者は本当に気苦労が絶えなかったと思う。

歌詞の対訳においては、そういう言葉遊びはバッサリ切ってしまうのがスッキリしていてよいのだが、対訳者からするとどうにも作詞者に気兼ねしてしまう。その心遣いが必要のない"本人による"対訳の方がバッサリスッキリする、なんて事もあったな。EXODUS収録のAnimatoの話である。原文は色々な音韻が混じり合っているのだが対訳には反映されている気配はない。歌われている気持ちはパーソナルだし、確かにこれは光本人が訳して正解だったな。次に英語の曲を書いた時にまた自ら対訳を手掛ける事はあるのだろうか。実は今その真っ最中だったり、しないか。そのせいで昨夜みたいなツイートに繋がって…