無意識日記々

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ひとのやるきがきになるひと

ヒカルのモチベーションが気になる事が多いのは、自らが作り終えた作品に対する愛着がそれほどまでには強く感じられないことが大きい。「完全した作品は殆ど聴かない」旨の発言は何回か為されている。

一方で、では見栄や虚栄心や…まぁなんでもいいや、目立ちたいとか稼ぎたいとかいうのも余りない。目立つどころか裏方としての意識の方が強い位だ。売る方は、複数枚商法はおろか初回限定版すら限定的にしかリリースしていない。数字としての記録や収益などにもさほど興味はないらしい。

ここらへんである。売上や知名度を度外視するアーティストは、大抵自らの作品に異様なこだわりがある。有名になりたくない訳でもなければ稼ぎたくない訳でもなく、単にそっちより自分の作品の方に興味があるのだ。芸術家肌という奴である。

他方、作品を手元に置いて愛でるより世に出して人々に反応させたい向きは、当然のように売上や知名度を気にするし、言わば「社会的成功」というものに貪欲である。商業的、と揶揄されやすいが大抵は僻みや妬みなので勲章みたいなものだろう。

ヒカルは自らの作品をPopsとしてやや離れた位置から見ている事が多いけれども、ではそれを売ろうという段階ではあからさまな事はしない。記録にしろ収益にしろ数字の面での価値を評価するには周囲との比較が避けて通れない。初日に4,5種類のフォーマットでリリースする事が当たり前になっている中でこういう"潔い"態度は果たしてそれでいいのかどうか、余計な事ながら心配になる。

その代わりにヒカルが手に入れているのは圧倒的な"好印象"である。全く商業的でない態度とPopsとしてのバランスを兼ね備えたケースなど滅多にない。売る為の"商品"として作られた作品は売らんかなの精神で押し出されるものだし、アーティスティックな作品は素人には親切さが欠けている。どちらもカバーしている宇多田ヒカルが好印象を持たれるのは当たり前といえば当たり前なのだがもしこれが"狙ったこと"だとすれば…

…ないかなぁ。もしヒカルが「人に好かれる事が好物」な人間であれば、今までの活動スタイルを肯定するのは最も容易い。人の悪口しか書かれない場所でも「ババア結婚してくれ」と言われる始末である。「愛されたい願望」を満たす為の行動の積み重ねであるのなら、モチベーションの心配などしなくて済みそうなのだが。

でも多分、自分として自然に行動してたらこうなったってだけだよね。とすればやっぱり活動を続けていくモチベーションはこれからも悩みの種にならざるを得ないかな。はぁ〜あ。