無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

それでだいたいあってそう

今宵の話題は手相か。よし、そいやったらおっちゃんの「両手百握り」の手相見せたるで、今んとこ片手には何人か会ってるけど両手はほとんど居らへんだもんなぁ、、、ツイッターやったら写真撮って見せたればええか、何しろ両手を一直線に貫く絵面やからインパクト抜群やで、ちょっち待っち中学生、今両手揃えた写真撮ったるからな…

…と思い立った所で気がついた。この体勢でシャッターを押す方法なんてなかった!(笑) 

ヒカルはヒカルらしく何しろ手相が濃い感じ。この女性が15歳の頃から鱈腹いろんな写真を見てきたからこのコがどんな肌をしているか知っているような気分になりがちだが、勿論錯覚である。実物は確かに数mの距離で見た事があるが、当然触れた事もないし肌触りなんて知っててたまるか。成る程、握手券ついてたらCD何枚買うかわからんなこりゃ。EMIさんに感謝です。

握手会では「手相の話題禁止」とかあるんだろうか。まぁ確か秒数決まってるんだよね。出来る事は限られてくるか。前も書いた気がするが、AKBの握手ってのはルーツはたぶんモ娘。の「CD手売り5万枚」にあるんじゃないかと私は勝手に思っていて。自分の作ったものを消費者に直接手売りするのは商売の原点だ。しかしこちらは原点過ぎて巻き込む人を減らしたのが難点で、AKBの「買ってくれた人と握手」という順序は流通機構、いや、宣伝に関わる人々を巻き込んでいるのが大きい。CDを各店舗で売るというのはそれ自体が宣伝広報のシステムであり故にテレビ局だの雑誌だの色んな媒体が絡み込んで来られる。だから「本人と直接会える」というプリミティブなコンセプトがここまで大きくなれた。この"巻き込む力"なくして今までのAKBグループの隆盛は有り得ないだろう。皆はCDを買わなくなっただろうがまだまだそのシステム自体は生きている。AKBはそのシステムに最後かもしれない活躍の場を与えて再生したのである。
死にかけてる所を無理に再生したお陰でなんだかゾンビっぽいけどね。全体的に。

ヒカルが次に復帰する時に"利用"できる既存のシステムとは何だろうか。私はHeart Stationの時みたいにラジオがいいと思う。書籍流通ってのも考えたが、そういや点線は既存の流通に対してどうだっけと思い返してみるとあまり芳しくなさそうだ。

ラジオというのは、音波と電波を相互変換するだけの極めてシンプルなシステムで…って前置きが長すぎて本編に入れなかったよ(苦笑)。ほなまた次回。