無意識日記々

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「今ココ」でしか聴けない音楽

光のサウンドは大抵打ち込みが主体で、それならLIVEでもバックの演奏はテープ(※慣例表現)流しとけばええやんかとなりそうなもんだが、やっぱり生のバンドサウンドや生ストリングスの威力には抗い難い。たとえPAを通してであっても生演奏は違う。技術的には、テープに録音されている音源は基本的に2chとか5.1chにミックス済みなので広い会場で流すには少し平坦な印象を与える。生演奏なら各楽器の音を出す為のスピーカー/システムが用意できるので(これも場合によりけりだが)、それぞれの楽器の存在感が格段に違う。勿論そのバランスを会場でミックスせねばならないのだが、その時の会場の形状や気温や湿度、観客数などに応じて調整は異なってくる。音作りの段階から"LIVE"は始まっているのである。

こういう状況の上に立脚するかしないかで曲作りのスタンスに変化が出てくる点はこれまでに指摘してきた通りだが、ならば逆に、LIVEを先にやったあとで曲作りに入るというプロセスを経たらどうなるか。コンサートツアーを行う場合、新曲が提供されているのが基本だが、例えば今回ヒカルがこのあと復帰するとして、新曲ナシのヒット曲披露公演をプロローグ的に催してもそんなに違和感ないだろう。というかそんなタイミングもうないかもしれない。一度もなきゃそれはそれで構わないけれど。

で、そのLIVEの感触をそのまま曲作りに持ち込んでいったらどうなるだろう、という興味が湧いてくる訳だ。PAから流れる大音量の余韻というのはかなり尾を引く筈である。平たく言えば、ParodyみたいなLIVE感が全編を支配するのではという事になる。

ただ、ヒカルがあクマで自らをシンガーソングライターとして位置付けているとすればそういった手法も空回りに終わるだろう。曲は曲で、LIVEはLIVEでそれぞれ全力を尽くす、というスタンスは変えそうもない。だったら例えば、一曲くらい"LIVEでしか聴けない曲"を作ってもいいかもしれない。一切音源をリリースせず、生演奏でしかこの世に存在しない曲。まぁヒカルのポリシーからして、世界中の誰でも音源を手に入れられるように誂えるのが基本線だろうから現実味は薄いとしても、そういう事を要求してくる楽曲が生まれてくればこの限りではないだろう。ネットでなんでも聴ける時代に"今ここでしか聴けない曲"が在ったら光るだろうな。まぁそれを隠し録りした音源が出回っちゃうのが現実だろうけれどもね。