無意識日記々

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前世快適

今思い返すと、This Is The OneからIn The Fleshの流れは、喧嘩別れしたレコード会社主導のものだったとはいえ、理想的な展開だったなぁという感想が先に立つ。

何もかもが余りにも「普通」だった。ソングライターとトラックメイカーを分業体制にする事で得た制作スピードの早さ、それに由来する全10曲40分足らずの聴き易さ、没個性過ぎて埋没するのに、即ちその場に溶け込むのに何の苦労も要らなかったPVをフィーチャーした王道過ぎるまでに王道過ぎるバラードをリーダートラックとして引っさげて各地のラジオ局を周り退屈極まりない質問の数々にそれなりに真面目に応えながら稼いでいった数千回のラジオオンエア、朝の番組にまで乗り込んだ全米規模でのTVプロモーション、、、何ていうんでしょ、瞬く間に特大ヒットスターとしてミステリアスに祭り上げられた日本とは全く異質の、"メジャーレーベルからのデビューかくあるべし"とでもいえる普通っぽさ。それをもってして"理想的"と言いたい。何故これがEXODUSの時に出来なかった、しなかったのか、今から言っても仕方がないが勿体ない事をしたなぁと思う。

そうやって取り敢えず出した成果が全米初登場69位。日本人の感覚からすればパッとしない数字にみえるかもしれないが、80年代に世界的な知名度を誇ったLOUDNESSのピーク時と大体同じだったのだから妥当といえるだろう。LOUDNESS知名度は今でも健在で、先日も中国公演が政治情勢を鑑みてかどうかは知らないが当地でキャンセルになったばかりだ。知名度がなければ暴動等への配慮は不要だろう。彼らの名の為せる業である。余談Done.

で、正直宣伝規模からすればThis Is The Oneには50位以内に入って欲しかった所だったのだがこのチャートアクションの2ヶ月前に先行デジタルリリースのみでTop200に入っちゃった前歴があるのでその分の購買数が差し引かれていると捉えるべきだ。この時の成績がiTunes USA 総合チャートで第18位。Popsチャートでは2位。まぁこれも十分だろう。

そしてライブハウスツアーのIn The Flesh。本来ならアルバムリリースから間をおかず実施して"In The Flesh 2009"であって欲しかったのだが実際は少しずれ込んで2010。規模も全米10都市を、House Of Blues位のハコで回る順当なもの。ロンドン公演はオプションという位置付けだろうか。大陸からの渡航者も巻き込んでかなりの盛況だったようだが。

いずれにせよ、こういう感じで実績を積んでいくのが"理想的"だった訳なのだが、御存知のように結局そのレコード会社とは袂を分かつ結果となってしまう。このままその調子で進んでいけばいいのに―というのがデビュー時から宇多田ヒカルに前世快適な、いや違う、全世界的な成功を願うファン層の希望だったと思われるが、結局日本で「ダブル"ベスト盤"」(ややこしい書き方だが、いろんな皮肉が込められている)をリリースして宇多田Utada共にアーティスト活動を休止して今に至っている。

なんでこう、"ギクシャク"してきたんだろうなぁ、という風には感じるが、ファン個人としては全く不満はなかった。2010年は新曲5曲と内外でそれぞれライブ、2009年は新譜にダブル書籍、2008年は新譜とその恐るべきシングルカットと旧曲のリメイク、2007年は以後の宇多田の評価を鰻登りにした矢継ぎ早なシングル曲のリリース、2006年は新譜に全国ツアーに最高傑作ぼくはくま、2005年はiTunes年間チャート2位の楽曲と以後のアーティスティックリスペクトと海外での人気を獲得した核となる楽曲のリリース、2004年は武道館公演にシングルコレクション(年間1位)に新曲に新譜…あれ、いつ休んでたの?という密度だ。これがグループやプロジェクトの話ならわかるのだがプロデューサー兼任でこの10年を駆け抜けたという事実は見逃してはならない。なんか途中から編集長と公演の総合演出と映像監督の肩書きまで加わっていた。いやはや、満足と言わずに何と言おうか…

…というのは紛れもない本音なのだが、それ以上に過去10年余りでいちばん感覚及び感情として記憶に残っているのは間違いなく「今どうしてるんだろう」「これからどうなるんだろう」という漠然とした心配と不安の方であった。贅沢というよりか何なのか、結局「先が見えない」という感覚が強かったのは、上述のThis Is The OneからIn The Fleshみたいな"ティピカルな流れ"が少なかったからである。唯一、2006年の新譜発売から全国ツアーへの流れだけは"普通"といえるものだったかもしれないが、これはBlogのタイトルからも伺えたように、全部ひっくるめての一大プロジェクトだった。なんていうんだろう、つまり、このコに限っていえば"不安"と"予定"の2つしかなく、その間に、ティピカルな意味での期待とか希望みたいのが妙に薄いのである。ただ、それを補って余りある"信頼"がそこに横たわっているのもまた事実。う〜ん、なんだ、結局贅沢を言っているだけかもしれないな
…。