無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

道草中

で、そうやって機械的に3年毎に活動を区切ってみて気がついた事といえば。全体の流れというのが全く読み取れない点である。いや、それぞれ局所的には必然性があるし、変わらない所も多々あるのだが、"全体としてどこかへ向かっている"という感覚があんまりないと言う事だ。これといった"傾向"がないのである。

普通、才能のあるミュージシャン或いはグループには長いスパンでみると一定の方向性みたいなものが見えてくるものだ。The BeatlesはアイドルのシンプルなR&Rからアーティスティックなスタジオワークへと10年で歩を進めていった。彼らはデビュー時点でトップクラスだったので、特に売上が一方方向に伸びていった記録はなさそうなのだが、4人の集合体の活動に"傾向"が出ていたのは明らかだった。案外、グループだったからなのかもしれない。ソロ・アーティストの方が自由な分、あっちゃこっちゃいきやすいのかな。なかなかいい比較対象が思い付かないけれども。

ヒカルの場合、売上は基本的に落ち続けてきたけれどそれが"傾向"だった印象は薄い。市場全体の縮小という点を加味すると、SCv1までの4枚はそんなに市場比率としては変わらない。いやまぁ1stはそれでも突出してるけどね。

FoLでの"復活"がまた扱いが難しい。こちらからすれば優れた作品を連発し続けた中での"また出た名曲"に過ぎなかったのだがその年のダウンロード数世界第2位はちょっと異常だった。これを「この大ヒットが出るまでに積み重ねてきたものが結実した…」みたいなストーリーが描ければよいのだがそういう事でもなかった。宇多田待望論が市場にずっとくすぶっていてそれが…みたいな事もいえなくはないけれど、なんていうか"出会い頭の事故"に近かったような。流れもへったくれもない。

その後に、この前書いたようにUtaDAの活動で"普通に売れていく流れ"を作りかけたのに、こちらも途中でぶっつり切れてしまう。ツアーが半年遅れたのは致し方ないとして、それが終わった後になにが控えていたかといえば人間活動宣言。いやぁ、面食らったようなというかついに来たかというか。

確かに、「こんだけ働いてきたら気分転換も必要になるわ」と思っていたのでそれはそうなんだが、UtaDAのキャリアは途中でぶっつり切れて終了となった感覚が強い。嗚呼、さっきから纏めていて自分でも意味がわからない。この12年間をまとめる言葉が見つからないのだ。混迷と苦悩を背負いながら次回に続いていきますよっと…。