無意識日記々

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魔道の話から惑う話へ

Cryptopsyの7枚目、セルフタイトルドアルバムの出来が最高過ぎる。そう、最高を過ぎているのだ。人としての限界というか、ここを踏み越えたら最早ただの概念だよぬ、という領域に何の躊躇いもなく静かに踏み込んだサウンド。ここが涅槃という場所か。余りの恍惚に自我が雲散霧消しそうである。この魂の浄化作用はフロ・モーニエにしか生み出せない。現人神の称号は彼にこそ相応しい。話してみると爽やかなスポーツマンという感じで全然エキセントリックな所のない普通の人なんだけどね。スティックを握ると神になる、というか彼の出す音に神が宿ると言った方が適切か。ただの概念になるというのは最高の快感なのだ。成る程、デスメタルというジャンル(どちらかというとグラインドコアだろとか言わない)でも異形と言われる彼らであるが、生をここまで対象化出来る時点でその存在は"死"なのかもしれない。

なお、間違っても聴いてみようなんて思わない事。ここの読者に薦めるつもりはない。耳潰れるよ。単なる本題に入る前のフリです。

ヒカルの場合、オールストレートAの秀才かつ天才ではあるが、その、「凡人には見る事の出来ない世界を見れる人、或いは見せてくれる人」かというとそちらではなく、人のよくよく知る風景を描く人である。故にその姿は生々しく、普通で、迷ったり戸惑ったりを繰り返す。信念を貫き己を鍛え誰も目指せない高みにまで登りつめる…気もサラサラないようで、どちらかというと人に寄り添い、同じ場所で同じ風景を見るようにしている。従ってそこにはエキセントリシティは存在しない。クマが絡むと多少エキセントリックにはなるがちょっと意味が違うよね。

ヒカルのプロフィールの特技欄、まだ『人を惑わす事』って載ってるのかな。ヒカルのサディスティックな面が見て取れる記述だが、それと同時に「この人も相当人生で惑ってきたんだろうな」とも思わされる。人を惑わす為には「惑う」というのがどういう事なのかをよくよく理解していなければいけない。人より沢山惑ってきた人が、より人を惑わす事が出来る。真理と思うがどうだろうか。

「戸惑い」と書くと「なんでそこでドアが出て来るねん」と戸惑ってしまう(どうやら"どの戸から入ればいいかわからない"から来ているらしい)が、「途惑い」と書くと人生を迷子になっているような雰囲気が出てとてもいい。どっちでもいいんだけれど(いいのかよ)、ヒカルの人生もまた惑う事の連続だった…というか、決めた途を一直線に突き進む、というスタイルがどこにもない。あるのは「やり始めたらちゃんと最後までやる」という、社会的でない、主観的な、個の価値観としての、プリミティヴな"責任感"だけである。『見捨てない 絶対に』というヤツである。その中で惑う事や迷う事が沢山あるのは仕方ない。それにしても、今でもヒカルは『歩んできた道が正しいと信じて』いられているだろうか。今日のツイートを見る限り、その心配はなさそうだ。具体的にどこも目指さなくても、『私が選んだものなら、なんであれそこがあるべき場所に繋がって』いるのだから。