無意識日記々

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タダの読みもの

点と線が既存の出版社を通さずに販売された事は、今から考えてもアナーキーな話だった。従来からのシステムを利用するメリットは、安定した販路の確保と共に大きな宣伝力をつけられる点が大きい。多少価格に反映されてでも、製品の存在を知って貰う為にはひとりでも多くの人を巻き込んでいくのが必定と思われる。

そう考えると、点と線は多くの読書家たちにとって、その存在が余り知られていないのではないかという憶測も浮上してくる。製作はインディーズ体制でも、EMIがバックアップしているのだから音楽ファンに対しての宣伝は抜かり無かった…筈だ。それに対し、宇多田ヒカルの名前位は知っているけれどもという"本好き"の皆さんへの広がりは乏しかったのではないか、とも考えられる。要は本屋さんで大々的に売り出していなかったよね、と。

ミュージシャンのインタビューやメッセージの"読者"というのは一体誰なのだろうか。いちばんは当然ながらそのミュージシャンのファンだ。そして雑誌を購読するような音楽ファンの層。単純に、"読み物"としての価値を見られている感じはしない。あクマでプロモーションの一環としての存在であるように思える。

そうではなくて、単純に「読書の対象」としてみて読んでいる層はどれ位居るのだろう。殆ど居ないのではないか。要するにそれだけ読んだだけでは特に面白くも何ともないからだろう。ファンとしての色眼鏡をかけて初めて何とかなる。そういうポジションである気がする。

しかし、点と線はもしかしたら単なる読書の対象としても興味を惹くものかもしれない。実際、宇多田ヒカルの顔も名前も歌も何となく知っていたけれど、ファンになったキッカケはMessage from Hikkiだった、という人は幾らでも居るだろう。ヒカルから発せられる言葉はインタビューであれメッセージであれ、それ単独で随分な吸引力をもつ。その吸引力を2冊に凝縮したのが点と線だった。のに本屋さんで余り盛んでなかったのは何とも勿体無い。

今でも多分、宇多田ヒカルの顔と名前と歌は何となく知ってはいたけどツイートを読んで初めて興味を持った、という人たちが必ず居る筈である。流石にツイートの書籍化は難しいかもしれないが、また何かの形でヒカルの言葉をただの"読み物"として堪能できる書籍が世に出てくれたらな、と願う。その際は何とかインディーズ形態でも"読書家"たちを巻き込む方法論が見つかっていればいいんだが、さて。