無意識日記々

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ドキドキ止まらない?

Twitterで、凡そ気軽にメンションに対してリプライしている姿を見ると、Twitterのない頃もこういう風に返事してみたい衝動に駆られていなかったのかなぁと思ったりする。

確かに、個別にメールの返事を書いた事もあるようだ。Mail To Hikki フォームにはメアド欄あるし。しかし、宇多田ヒカルから返事が来るというのは重い事だったろう。

今でも、たまに返事が来て狂喜する姿が見れる事もあるが、一方でサラッと流している人も居る。RTの多さにおののく人も居る。@ツイートへのRTの少なさからして、ひたすら熱心なファンというのは数が限られていて、殆どの人にとってはフォローしている有名人のうちの一人に過ぎないのだろう。

気軽に街を歩くヒカルの姿が重なる。目立ちはするけれども、なんだかんだで人の波の中に紛れ込んでいるのだ。気づく人が出るか出ないかだけで。

多くのWebサービスが栄枯盛衰を経験してきたように、Twitterもいつまで存続するかわからない。chatやBBSと違って、一般的なシステムの名前ではなくあるひとつの特定の会社のサービスなのだ。そこの意向次第でどうとでもなる。

ただ、Twitterがなくなったとしても、この経験、このスタンスの「しっくりさ加減」は、その後の活動にも影響を与えるだろう。ヒカルが作っているのは終始一貫Popsであって、メインとなる対象層はTwitterで気軽に話し掛けてくるような、ライトな一般人である。そういう人たちからの反応がいちばん参考になる。

ただ、そうなってくると少し昔みたいに「この曲が受け容れられるかどうかドキドキする」ような展開は減っていくのかなぁ、とも思う。音楽性や歌詞のスタンスをどう取ればいいか、先によく見えてしまう。この点は、日本で音楽が売れなくなった要因のひとつだと再三指摘してきたが、要するに心を歌に託す必然性が薄れてきているのだ。

Popsの役割の変質と世代交代。まだどうなるかわからないが、ヒカルが次に、タイアップ抜きで何を歌うかは、かなり見えない。向こうからはよく見えているがこちらからはよく見えない。まぁ結局、こちらからすればそれで十分かもしれないな。