無意識日記々

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響きあり

照實さんによると怪我が多いのは親子揃っての事だそうで。やれやれ。ある程度行動派だと怪我のリスクは当然ある。人間の身体には自然治癒能力が備わっているので"原状回復"もある程度可能なのだからその範囲ではどんどん怪我をすればいい。

しかし、これがスポーツ選手ならそうも言っていられない。長年鍛え上げてきた特殊な肉体であるが故に"元通り"までの道のりが長く険しい。しかも時間的な制約が大きい。そうそう怪我はしていられないのだ。有望な選手が怪我で選手生活を棒に振った例は数限りない。

歌手の場合はというと難しい。確かに身体を酷使する職業ではあるが、踊りもしない人が足を傷めたからといってすぐにどうという訳でもない。アクシデントはなかなかに避け難い所もある。しかし、自身の身体のケアを大切に行えていると言えるかどうかは別であろう。

「自分自身を大切に」とは光がWild Lifeで残した強烈な置き手紙だ。それは一面、自分自身に言い聞かせているようでもあった。今回の件でそれが疎かになっていると指摘するのは少し違う。自分自身の身体を大切に扱う事と自分自身の人生を大切にする事が常に一致する訳ではない。多少のリスクをとってもチャレンジすべき事は幾らでもあるだろう。怪我をするなという事ではなく、した後のケアは抜かりなくというのが、昨日の話の趣旨であった。

熊野古道を歩く事が光にとってどれだけ意義深い事であったかはよくわからない。本人が言うように、その道程自体が実り多いものであったのならそれで十分だろう。熊野が三重と和歌山のどこらへんを指すのかもわからない状態からもうここまで来ているのはいい感じだな、と思う。ファンとのツイートのやりとりが発端になったのも微笑ましい。人間活動を通じて得るものは着実に光の人生を豊かにしているといえそうだ。

ただ、こうやってその過程を100万フォロワーと共有しているのはやはり特異だ。旅行の顛末をツイートする事自体は誰しも行っている事なのでそれはいいとしても、それ単体でメディアと呼べるような読者の数はどう受け止めるべきか。この非対称性への対処自体はお手のものだろうし、ひょっとしたら別アカウントも持っているかもしれない。が、人間活動中にもこうやってメディアレベルで話題を提供している様は、つまり光はこれも私の人生の、生活の一部なんだとナチュラルに受け止めているという事だろうか。それはそれで、宇多田光さんの人生に一枚噛んでいる気がしてむず痒く嬉しいのだが、少し不思議な感慨が胸を掠めるこの感じ、諸行無常というのかもしれないな。