無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

人生の文字盤のデザイン

そうか、宇多田家はNYからハワイ旅行に行った事があるのか。NY東京間を行き来する生活の場合、ハワイ旅行って「ぶらり途中下車の旅」みたいな感覚になるのかな。それにしても飛行機と時差が当たり前の生活って未だによく想像が出来ない。でも、ホノルル公演の時にMCでは別にその事には触れていなかったかな。確かに、ハワイに来るのは初めてとも言ってなかったし…いや半年前にプロモーションで来てたんだっけか。

僅か2,3年前の話なのだが、もう随分と昔のように感じる。一方、この間スティーヴ・ジョブスの一周忌ときいて「もう1年経ったのか」と驚いた自分が居る。この時間の流れの感じ方の落差は不思議といえば不思議だし、当たり前と思えば当たり前だ。光に関しては、あれやこれやの記憶がずらずらと引き出されるので、過去の事を振り返る時に間に沢山の景色が広がる。一方で、ジョブスの場合、この1年で彼の事について考えた時間など皆無だった。"ジョブス"というキーワードで導かれる最初の記憶が「この間亡くなった事」だったので、その記憶の引き出し方からすればジョブスが亡くなったのは私にとって「ついさっき」の出来事にしかならない。

つまり、時間の流れが早いとか遅いとかいう感覚は、その時想起した記憶の総量に比例するのだ。過去のある地点について考えた時に時間的にその間に挟まれている様々を一緒に想起するか否かで「あっという間」になるか「随分昔」になるかが変わる。もっと短いスパンでも、時間の流れが遅く感じられるのは時計を見た回数が多い時だ。「時刻」というキーワードから想起されるエピソードはそのものズバリ「時計を見る」というイベントだからだ。楽しい時があっという間に過ぎるのは、その間に一度も時計を見る事がなかったからだ。ジョブスに関しては私はこの1年間彼についての時計を見なかった。光に関しては毎日時計を見ながら生活している。その差が過去の分厚さの差なのである。

だから、もしかしたら時計を見ない人生はあっという間に過ぎていくのかな。ずっと見ている人は人生が長いのかな。それだけの差で感じ方は変わる。どちらの人生が楽しいかは一概には決められそうもない。