無意識日記々

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『Distance』から17年のディスタンス

この調子で「あの曲をLIVEで聴きたい」を連発すると止まらなくなるかもしれないので初手で自重しておこうか。

という本日は『Distance』発売17周年。えらいまぁ昔。その頃生まれた人は来年就職とか大学受験とか諸々ですよ。

でも、実際のところ言うほど感慨は無いかもしれない。それがこちらが年をとったせいなのか、ITによって過去が相対化されたせいなのか、ようわからん。何しろこっちはWebを触って20年が経過しているので、過去20年は常に「すぐ手に届く」のだ。

もっとも、毎年CDを買い続けているから更にその10年位前からの"歴史"はサラッとCDラックに並んでいる。そういう意味では自分の場合過去30年分位は「すぐ手に取れる距離にある」ので、プレイボタンを押せば過去の思い出が瞬く間に甦る。音楽の想起作用は便利だ。

こうしてみるとやっぱり「生まれる前」の時間と「物心ついてから」の時間は別物だなと感じさせる。生まれる前は本当に遠くて。70年代の10年間と00年代の10年間はやっぱり別物だ。90年代と00年代の10年はそこまで変わらないけど。

まぁでも1998年からの20年は「違う時の流れに迷い込んだ」感覚が拭えない。総てヒカルさんのせいです。あらゆるカレンダーや時計が新譜と新曲の発売日とリンクされて思い出される。じゃあ6年半はどうだったかというと、『WILD LIFE』の円盤が発売されたり『桜流し』がリリースされたり『Kuma Power Hour』がオンエアされたり『First Love 15th』が出されたり『宇多田ヒカルのうた』が作られたりで…結構埋まっているものだ。空白の、という大袈裟なものではない。

なので「えらいまぁ昔」と言ってみたものの、当時の歌はすぐ聴けるしメッセはすぐ(というほどでもなくなったけれども)読めるし、「相対化・空間化された過去」は依然として目の前にあって、自分の生まれる前に対するような「遠さ」は感じない。2001年頃はまだまだインターネット黎明期、そこまでの相対化された感覚はなかった。「今すぐ」「途端に」の方に注目していたしな。今のように膨大な"過去"にアクセス出来る訳ではなかった。

故にあの頃と最も変わったのは、空間的には勿論の事時間的にも「距離/Distance」である事はほぼ間違いなく、従って今『DISTANCE』を歌う事でこの歌の先見性即ち普遍性をより痛感する事が出来るだろう。次のアルバムにアンサーソングや続編があってもいいかもしれないね。