無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

思い出の再生ボタン

このblogは「日記」だ。何故か日本最古の文学のひとつが日記文学なので(そういえば他の国ではどうなんだろうか)、まぁそのいちばんの伝統の系譜を受け継いでいるのさ、ふっ、と嘯く事にしているのだが、要は言葉の落書きである。評論っぽかったり感想っぽかったり様々だが、「取り敢えず書いておく」というのがスタンスである。そうやって日々感じた事を綴っていけばそれが自然と日記になっていくのだ。

だからどう、という話でもない。ただ、何かを書き記せばそれは日記としての機能、例えば読めば過去のある時点での思い出を想起させるといったような風な事はどうしたって出てくる。それが買い物のメモやレシピのメモであったとしても、日付さえ入っていれば、あぁこの頃はこんな事をしていたなという記憶が甦ってくる。

昔の歌を聴くと当時の思い出が甦るというのはよく聴く話だ。それが不思議がられるのは、例えばテレビを見ていたり本を読んでいたりした場合は、記憶がその番組や小説やの記憶で閉じてしまっていて、周りの状況がどんなだったかを想起させる手助けにならないケースもある(なるケースもある)からだろう。歌を聴く事は、小説の世界に没入するのとは一風異なる、日常生活の一部としての側面がより強いのだ。

だから歌は「ながら」で聴くのがよい。車を運転しながらとか料理をしながらとか勉強をしながらとか。そうする事で歌は日記の代わりを務めてくれる。また、歌はたくさん聴いた方がよい。極端にいえば、毎日違う歌を聴いていればある記憶が何年何月何日のものなのかが特定できる。そこまではいかなくても、何年何月の流行歌、という風に記録されていれば、自らの記憶の参照は容易い。

流行歌にあたるものが無い人が増えている、のかもしれない。思い出と共に歌が無い、という。その代わりに、例えばこのblogのような直接的な記録を残したり、或いはログの取れるゲームなら、とかそういうので思い出を刺激するようになっているかもしれない。しかし、歌のように、当時の匂いまで忽ち運んできてくれる即効性には欠けるだろう。それぞれに違うものだ。

この5年について、皆さんは歌で記憶を取り戻せるだろうか。心許ない、という人も多いかな。その分の埋め合わせを求める位なら、そんなに贅沢じゃあないと思うよ。