無意識日記々

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劇場版「魔法少女まどか☆マギカ」

劇場版「魔法少女まどか☆マギカ」、先週の前編に引き続き後編も見てきたよ。内容はテレビ版の総集編という事で物語上の改変は殆どなく寧ろ細かいネタバレを気にするのは何度も観てるマニアの方、という不思議な状況だが殆どのマニアはこの週末に観ただろうし観れてないマニアは週末に休みが取れない程に忙しいんだろうからこんなBlog読んでる暇ないだろう…とは思うもののネタバレなしでいくかやっぱ。

一応、私はテレビ版を何度も観ていて脚本・ストーリーはほぼ完全に頭に入っていて、今劇場で総集編を観たからって別に新しい感動なんてないだろう、前編を先週観た時もやや涙腺が緩んだがそれは総集編という感慨深さから来るものだろうな、と後編を観るまではタカを括っていた。何度も観た人が「ボロ泣きした」とか書いていても、いやいや、何回おんなじストーリー観てると思っとんねん、幾ら何でもそんな事ないわ、年とって涙脆くなってんのちゃうか、と半分バカにしていた。

甘かった。バカなのは私の方でした。私ってホントばか。わけがわからないよ。次にどんな場面が来るか、誰がどんな台詞を言うか知り尽くしていたというのに上映時間109分のうち半分以上の時間帯涙が止まらなかった。なんちゅうスジ作るんや虚淵は。何度観ても凄い。いや、何度も観てるから更にその凄味を深く味わう事が出来るようになったと言うべきか。テレビ版で初めて観た時より心を動かされるってどういう事なの。

劇場版において、物語の改変は一切と言っていい程なかったが、作画・音楽・声優の演技は一割増し位に強化されていた。特に5.1chで聴くサウンドの臨場感は素晴らしく、これを味わう為だけでも劇場に足を運ぶ価値がある。

作画のパワーアップも力が入っている。テレビ版、BD/DVD版とステップアップしてのこの劇場版、技術的な前進も特筆モノだが、それ以上に、何と言うのだろう、作画自体に宿る心みたいなもんにグッときた。恐らく、これは私の想像だが、テレビ版の時よりもスタッフの士気が更に遥かに高かったのではないか。今、自分の描いている場面は、この歴史的傑作のあの場面なんだ、という感慨が気合いとなって絵に乗り移っているような、そんな異様な執念みたいなものを沢山の場面で感じた、ように思う。

その点は声優陣も同様だったように思う。今私の演じているこの場面は、物語全体の中のこの位置にあるエピソードで、この登場人物はここまでにこれだけの思いを重ねて今この台詞を言っているんだ、というキャラクターと脚本と場面に対する深い理解が、演技の力の入り具合に大きく拍車を掛けていたように思う。特に悠木碧斎藤千和のご両人、テメーらは酷すぎる。あんたらがただ声を出しただけでこちらは落涙に咽ぶより他なかったではないか。キャラクターへの愛着を声に託し切った見事な演技でした。

作画にしろ演技にしろ、改変の方向性自体は賛否があると思われる。確かに、これらのアレンジがベストなのかどうかは私もわからない。ただ、この総集編に宿った思いの強さ、その力の入り具合は感じ取れる筈だ。いやはや、凄かった。

恐らく、この「魔法少女まどか☆マギカ」は、イギリスでいえば「ロミオとジュリエット」や「ハムレット」のような、国民誰もがその台詞を日常の中で引用するような、数百年語り継がれる作品となるだろう。演劇になったりアニメリメイクされたりもしていくだろう。それ位に「物語の原型」として生き残れる強さを持った作品だ。となると、脚本家の虚淵玄シェイクスピア以来の天才劇作家という事になりそうだ。彼の新作テレビシリーズ「サイコパス」も期待大ですね。