無意識日記々

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Is EVA evergreen ?

この度また久々にテレビを観ていて痛感した事は「この世界は凍ったまま時が動いていないのか?」という点だ。演出手法が手垢に塗れていて何の新鮮味もない。それは同時に安定して高度なレベルを保っているともいえるのだけれど、ドラマもその間に流れるCMも、20年前と基本的な技術や発想が変わっていない。いちばん新しいなと思ったのは音声アシスタントのクルックーだが、それは世間の方が変わったってだけでテレビドラマ文化の話じゃないよね。

殆ど配信でしか観ないアニメの方は半年も観ていないとすぐに新しい演出や発想が飛び出してきて面食らう。最近はテレビ放映より配信収入が増えてきたせいで国際展開を睨むようになってコンテンツの質も変わっている。すっかり有名になってしまった京アニなんか作品を作る事にアップグレードしていていやもう何をか況やであって。一方でテレビの世界というのは。

そういう時間が止まって凍った世界に時を戻す呪文の『Time』が流れるというのは、流すというのは、皮肉が利いているというかなんというか。

勿論、それとコンテンツの娯楽性は別である。前も指摘した通りドラマ班の仕事の質は高く原作の補完も抜かりない。観て楽しむ分には何の問題もない。

一方、「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」の方は厳しい。かつてはアニメ界の盟主だったエヴァだが、今やもう「古臭い」のだから恐ろしい。最後の作品となる本作でどちらに舵を切る事になるのか。つまり、旧世代の作品らしくアナクロに徹するのか、或いはアニメーションの未来を指し示すような先鋭的な作風になるのか。

問題なのは、作者や作品の方ではなくてファンの方だ。旧劇版を観ていた人間は最早40代とかそれくらいの年齢になっていてそもそも劇場にアニメ映画を観に足を運ぶかもわからない。新劇版ですら20代後半とか30代とかだろう。今更彼らにアニメーションでどんなメッセージを送りたいというのだろうか。そして、彼らは何を受け取れば満足するのか。

主題歌を担当するヒカルはそこのポイントを重視している気がする。『Time』でみたように、ヒカルにとって古参のファンを狂喜させるのは造作も無い事なのだ悔しいことに。シンエヴァアナクロニズムで固められているのならそれに合わせた主題歌を作りもしよう。一方で、先鋭的な作風であればヒカルもまたチャレンジングな歌を書くはずだ。

それが受け容れられるかどうかというのを見極めながら作品は公開される。ただ、こうやって公開までに時間が出来た作品を庵野総監督が放置できるのかというのがある。ライブ感を重視してきた彼にとって、伝染病の認識を新たにした現生人類に対するメッセージも新たに込めない手はないだろう。もしかしたら、そうなった時には主題歌も差し替えとまではいかなくても改変されたりする?? どうだろうな、「別の使い方をされる」というのは、ありそうだけれどね。

まぁアナクロに徹するならアニメの最終回らしく、歴代の主題歌を劇中歌に使って欲しいんだけどね。あれアガること間違いなしなんだよな。

はてさて、公開延期はいつまで続くのか。それがいちばん鍵を握るよね。推移を手堅く見守りましょうぞ。