無意識日記々

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引き続きQ主題歌の話

前回は、ピアノの音の上下と主人公の目線の動きがシンクロしている点を指摘した。空から舞い落ちてくる桜の花びらを見上げ、その落ちてゆく様を見やる為に視線を下げてゆき、隣に居るあなたが「今年も早いね」と呟くのを少し見上げる。この上、下、隣の目の動きをオクターブの上、下、真ん中で表現している。

肝心な事を書き忘れていた。ピアノのメインフレーズは332の混合拍子分散和音を2回繰り返した後上昇して儚げな和音で締めくくられている。ここの情感について語らなければいけない。上昇分散和音は最初から降下分散和音に左側から慎ましく寄り添っていて、降下が止まる所でぐっと前に出てくる。ここをどう解釈するか。ひとまずこれは、花びらが水面に落ちて波紋が広がっていく様子、或いは雨が水面を打ちつけ水滴が反射する様子などを想定しておく。

話を戻す。目線の動きとピアノの音のシンクロは、同じメロディーの次のパートにもみられる。『あなたが守った街のどこかで 今日も響く健やかな産声を』の場面は、イメージとしては街を俯瞰して見下ろすような感じであるから、ここは冒頭同様、降下分散和音が使われている。ここでは最早、ピアノのフレーズの含意が桜の花びらから離れて、純粋に目線の推移の表現に移行している事に注意。ただ桜の花びらの落ちる様を表現するだけならアニメやCGで描けばいいが、こうやって音楽的な表現を用いると主観的な情景を主体とした描写が可能になる。抽象美である。

続く『聴けたならきっと喜ぶでしょう 私たちの続きの足音』の場面では一転、上昇分散和音からの和音を解き放つ後半のフレーズを切り取って繰り返す。これは、前段で街を俯瞰した後"あなた"の事を想って虚空を見上げる視線の動きと対応しているとみるべきだろう。演劇でも漫画でも、"想起"の具体的アクションは"見上げる"行為である。ここでは、見上げた先の夜空に星が煌めいている様を想像するのもよいだろう。

斯様に、同じフレーズを用いて巧みに異なる歌詞場面を音楽で描写してゆく表現力。やはり発想からして図抜けている。光、恐ろしい子