無意識日記々

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更に"通常盤仕様1形態"について

「通常盤仕様1形態」…この8文字を見ているだけで痛快だが(辞書登録してしまった)、これは一方で“退っ引きならない状況”に追い込まれる可能性すら孕んでいる危うい事態になりかねない事も見逃してはならないだろう。

と言っても、追い込まれるのはヒカルではない。ヒカルからしてみれば、どんな形態、どんなメディアでリリースしようがする事は「グレイトなトラックを揃える事」に尽きるので、自らに誇れる歌が歌えればそれでいいのだ。その"それでいい"のハードルを恐ろしく高く(きっとリスナーの誰よりも高く)ヒカルは設定していてそれを越える事に掛かりきりなんだからメディア形態なんて枝葉末節の物語。

追い込まれるのは、ファンの方である。

この10年余りで、アイドルたちの複数枚商法を快く思わない人たちの鬱憤は溜まりに溜まっている。知りもしない歌の名を冠したCDシングルがあの名曲やこの名曲の売上を軽々と超えていく。それはまるで、ドーピングしたホームランバッターたちがベーブ・ルースロジャー・マリスの記録を軽々と超えていったのに似ている。いや、彼らはまだ木のバットで打っている。複数枚商法は、金属バット、いや大砲でボールをスタンドに放り込んでいるようなものだ。そんなのと比較されて負けたなんて言われても釈然とする訳がない。秋元康のやり方をみて、多くの人がそう思ってきた事だろう。あんなCDは投票券や握手券であって、歌が売れた訳じゃないのに何をのさばっているのか、と。

そういう人たちにとって、今回のヒカルのニュー・アルバムの"通常盤仕様1形態"はまたとないチャンスである。私たちは純粋に歌を聴く為にCDを買っているんだ。1人1枚。売れた枚数はそのまま誇れる。何の水増しもしていない。即ち、ヒカルの新譜が売れれば、日本にはまだこんなに音楽ファンが居るんだぞという事を内外にアピールする事が出来る。本当の意味での"正味の音楽ファンの数"が、ここでくっきり現れる筈だ。最早千載一遇と言っていい。この機を逃す手はないのである。

しかし、もし売れなかったら。そうなると我々はついに追い込まれる。何だ、音楽ファンたちは、普段愚痴々々文句を垂れているけど、結局音楽に金を出さないじゃないか。それなら俺達アイドルファンの方がレコード会社にも日本経済にもよっぽど貢献している。あなたたちは、口だけだったのね、と言われる羽目になる。最早複数枚商法に対して何か言っても負け犬の遠吠えになるだけである。そうなったら、今度こそ本当に、CD時代が終わりになる。それどころか、それだけでなく、日本のエンターテインメント産業に於いて音楽は、中心的な価値を失うだろう。常に何かのオマケとしてくっつけておくしかない、文化の傍流になり果てるのだ。音楽だけでは誰もお金を払わない。文化としての自立が失われる。そんな危機を呼び寄せる。

そんな大袈裟な、と思うかもしれないが、では、他に"通常盤仕様1形態"でニューアルバムを出す大物日本人アーティストが何人、何組在るというのだろう。宇多田ヒカルというネームバリューに匹敵する、音楽を"自立した文化商品"として提示できるブランドが、あと幾つ在る? 極めて少ない。本当にこれは、ラストチャンスかもしれないのである。日本における商業音楽文化が自立したまま生き延びられるかどうかの瀬戸際だ。背水の陣である。

もしこの駄文がどこかの音楽ライターさんの目に留まっていたとしたら。是非上記の点を今後強調していって欲しい。「もし買うかどうか迷っているなら買え。買わねば必ず後悔する。」と読者を…脅さぬまでも、激しく啓蒙して欲しい。もう、縋るような思いで食いついていい。そんな強い言い方をして構わない程高品質な"音楽だけで勝負できる"音楽を、ヒカルは必ずや完成させてくるのだから。もう躊躇ってはいられないよ。