無意識日記々

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広場の変化

30歳か〜。

ただの数字だな。

オフ会で座長と会ってきたんだけど、予想通りというか予想に反してというか(どないやねん)、相当ニッチな方向でチェックしてるらしい。5人しか観客の居ないLIVEに行ったり。どんなんやそれ。

邦楽には「広場」がなくなりつつある。正確にいえば、"本物の"広場しか残っていない。それはフェスティバルや対バンといったLIVE会場だ。まずはここをチェックすればいい、という中央が、インターネットの普及と共にリアルに帰りつつあるというのは何とも皮肉というか当然の帰結というか。

音楽でいえばそれは「シーン」とかいう曖昧な言葉で表現されるものだ。大小の規模が層を成して「取り敢えずここに放り込んどけ」という広場、市場(しじょう・いちば)というものが何によって形成されてきたか。それはラジオでありテレビであり雑誌であり時には新聞だった。手書きのファンジン(同人誌)から視聴率80%のテレビ番組に至るまで、どこかしらが"広場"として機能していて、そこから空気を汲み出していた。そのチェックの流れは、まずいちばん大きい所から入って、徐々にに小さい方に流れていく、といったものだったが、今はどこから入っても忽ちいちばん小さい所にまでたどり着いてしまう。用意された道を見つけられるかどうか、に話は集まる。要は、途方に暮れる事が多くなった。

音楽が売れないのは、そういった「自分自身の趣味嗜好を見定める冗長性」を、特に若年層が得ていない事も大きいのではないか、と思えてくる。まぁ、勿論殆どの人は流行りの歌を聴くだけなのだが、流行りの歌が生まれるにはそういう"広場"で認知されるステップが必要だ。それがどうもうまく構築出来ていない。AmazonにしろiTunesにしろ、レコメンドが充実していて精度も高く、すぐに自分の趣味嗜好に合った知らない音楽に出会えるのだが、今言っているのはその前の段階、「最初の一枚目を買おうと思わせるタイミング」をどうやって作るか、という話だ。

ヒカルは、そういった"広場"を、余り考えずにやってきた。ファンクラブというのも、ファンの広場みたいなものだろうけれど作らず、まずは1対1というスタンスをとってきた。しかし、ここまでの知名度を獲得するのに最終的に効果的だったのはテレビ番組だった。25%を超える視聴率。誰よりも「広場の力」を使って売ったのだから。

それを考えると、本来彼女はひとりひとり耕していくようなファンベースの作り方が似合っていたのかもしれない。しかし、現実にはメジャーレーベルからの全国発売のもつ可能性を目一杯、それも史上最高の度合いで引き出して、ここまできた。これからも変わらず、ひとこと呟いただけでヤフトピのトップに取り上げられる事だろう。しかし、Yahoo!トップというこの新しい広場は、有名人は欲していてもなかなか音楽を届ける所までいかない。もう暫く人間活動をしていても大丈夫なんじゃないかなぁ。