無意識日記々

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STRATOVARIUS 「Elysium」 (2011)

Elysium

Elysium

ニュー・アルバムが発売になったばかりの彼らの2011年の前作。ティモ・トルキが居なくなってもSTRATOVARIUSはやっぱりSTRATOVARIUSのまま。アップテンポ&スピード・チューンとヘヴィなミッド・テンポのナンバーが交互に演奏される作風は、、、セカンド以来ずっとじゃね?もう四半世紀もこのスタイルのまま、ずっとやって来れてるってのは奇跡的といえるかもしれない。でも、冷静に考えてみれば、本当の意味でヘヴィ・メタルの様式美が完成したのは彼らの代である。イングヴェイだけだとネオクラシカルなだけだし、HELLOWEENはハーモニック・マイナーを使わない。スピードメタルにクラシカルなスケールを載せるだなんて別に彼らが初めてでも何でもないし、誰でも思いつくし実行も(腕のあるミュージシャンならば)カンタンだし、どってことないのだが、彼らはそれを看板にして、実際に実行してみせた。その「型」が如何に強固だったかは、中心人物であったティモ・トルキが抜けてから以降の充実こそが何よりの証明だろう。誰が携わろうとも、STRATOVARIUSの看板を背負ったサウンドを出す意志のある人間が揃えば、このクォリティが完成する。中身を追い抜いてこその「型」の価値。それがわからない前時代の人間を説得しようとするのは時間の無駄だが、我々以降の世代は、その価値の大きさを見失わないようにしなければならない。余談だが、そういえばティモ・トルキも、結局はオリジナル・メンバーのトゥオモ・ラッシラが抜けた後を引き継ぐ形でこのバンドの中心人物となったんだったっけ。曲のクォリティは準A級なのに、その「型」の影響力はDREAM THEATERと同等か、それ以上。いや、これからの歴史上では、もしかしたらIRON MAIDEN以上になるかもしれない。トルキはB!初のインタビューで「一番似ていると思うのはIRON MAIDEN」みたいな事を言っていたが、それは、この意味において、だったのかもしれない。バンドやサウンドスタイル、ジャンルという「型」の存在の意味を深く考えさせる、ヘヴィメタル史上際立った異彩を放つ稀有なバンドである。(80)