無意識日記々

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油断ジレンマ

しかしまぁ桜流しの30万だかというダウンロード数はヒットシングルと言って差し支えない数字ではあるだろう。しかし、配信の単価を考えれば経済規模としては縮小している訳で、本来なら配信で安価に手に入る分売上も数倍増えなければどうにも割に合わない。まぁこれは色々仕方ないけれど。

タイアップというものが楽曲の評価と売上の間の相関の推定を妨げているのは明らかだ。その意味では複数枚商法と何ら変わらない。ただ宣伝規模を大きくしているだけではなく、タイアップ相手の力を借りているケースがある訳で。勿論それはお互い様だったりするから、プロジェクト全体の評価のひとつだと受け止めておくのが健全か。

そういった、楽曲の評価を直に測りたいという"純粋主義"は、どうしても頓挫する。総てを"現象"として捉え、評価を測る基準の方を柔軟に変化させていくべきなのだが、オリコンをはじめそういった気風はみられない。確かに目の前に枚数は積み上がっているが、ではそこから参考になる知見を導き出せるかといえば難しい。先日もビルボードがポイントにYoutubeの視聴回数を加えるとして話題になっていた。方法論の是非は別として、どうにかこうにか新しい評価基準を模索している、という姿勢は伝わってくる。日本の場合はそういった努力がなかなか浮上してこない。難儀な話だ。

楽曲ではなくアーティスト、人の人気を測るのは比較的容易な話で、これは観客動員数を調べればいい。流石に人の数は嘘をつけない。一昔前のプロ野球じゃああるまいし。ただ、こういったデータを纏めて公表するモチベーションをもった機関が、何故だか存在しない。そこらへんの事情は疎いので、細かい事はわからないが、まぁ開催される会場は事前にわかっているのだからそのキャパシティを合算すれば動員数の上限は把握出来る。それで十分だという事だろうか。


こんな話をしているのも、ヒカルが図抜けた"記録持ち"だからだ。最初っからそういった数字に無縁であるならば、こういった話題自体なかなか取り上げないだろう。しかし現実は違い、バブルなまでに売れてしまった。色々理屈をつけるのは可能だが、ヒカルは自分の魅力に対して油断していたんだろうかな、とは思う。いや誰もデビュー作があれだけ売れるだなんて思っていなかった訳でそれは本人も例外ではないのだが、その自覚の過程が10代の性格の変化と結びついているというのであれば、やっぱりこれからもある程度数字には目を配っていかなけばいけないだろうな、とは思う。ある種の、ジレンマだな。