無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

突っ込んだ話。

Hステ5周年という事であのアルバムについて書こうかな、と思っていたのだけど私の耳元で鳴っているのはKING CRIMSONだったりする。なんか予定外。

ヒカルは復帰後、何を目指すのか、そもそも何かを目指すのか、設問自体からして難しい。CRIMSONを聴いていると、最初のスタジオアルバム7枚が強い必然性を伴って作られている事を痛感する。後追いで聴いても、7枚目の「RED」の最後の曲"Starless"に辿り着いたら「そら解散するしかないわ」と強烈に思わされる。事実、CRIMSONは「RED」発売当日に解散を表明している。後に80年代に復活を遂げるが、GENESIS等と同様、"別のグループ"と見做されている。

何の話かといえば、前も話したようにヒカルの場合こういった"必然的な流れ"というのが見えてこない、それは一体何故なのか、と。3rdアルバム「Deep River」は確信に満ちたアルバムだった。アルバムの最後を自らの本名の漢字の名を冠した曲で締める。それこそCRIMSONの"Starless"のように、「これで終われば伝説になれた」という構成だった。そこからの"話の続き"のわかりにくさと、メッセが激減した事は多分無縁ではない。それが、2006年に一念発起してメッセを書き始めてまた復活する。1999年2000年と、2006年2007年のメッセの多さは目を引く。早い話が全国ツアーやっからみんなと必然的に向き合う事になったというだけなんだが、まぁそれでも、それだから嬉しかったよね。

HEART STATIONアルバムは、言わばその"力ずくで作り上げた物語"の集大成だった。全国ツアーからぼくはくまFlavor Of Life、Beautiful World、、、どれも大変意義深い。充実したアルバムだった。あの時点での最高傑作であり、まだ未来を見せてくれるであろう期待をそこに漂わせていた。私にとって、しかし、いちばんのハイライトは5月に発売されたPoLEPであったか。あれがトドメの一撃となり、そこから(Eternallyを挟みはしたが)Utadaモードへと突入していく。一方でヒカルは「点」と「線」の編集長まで兼任する。刊行されたのは2009年3月19日。アルバムHEART STATIONからちょうど1年である。何が彼女をここまで駆り立てたのか。宇多田ヒカルの10年を総括する一方でUtadaの未来を見せようとして、Deep Riverの時のように結局倒れる。「また5月か」と七年越しの溜め息を我々は吐(つ)いた。多分、"次はこうならないように"と今人間活動に励んで
いるのだ―という纏め方は間違いだと思うが、我々の願望でもある。健康に気を遣い、ペースを維持し、出来れば、人生全体での創造性を最大化して欲しい。まぁそれは二番目以降の願いか。"今"を生きていて欲しい、という言い方の方がいいのかな。ようわからんわ。

それはただのおまぃの願望やないか、と自分に先にツッコミを入れつつ敢えて書く。ファンに対して沢山話し掛けられている時の方がヒカルはヘルシーな気がする。2006年〜2007年って離婚直前やん、どこがヘルシーやねん、となりそうだが、多分話はもっと前からで、別れる事がほぼ決まった状態でツアースタートさせたんちゃうかな。ある意味吹っ切れてたと。その割に喉をギリギリまで追い込んだりしてたけど。まぁ過去の事はいいか。『次は倒れないでよ』、と言いたい事は結局それだけ。辿り着いた。安堵。