無意識日記々

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コンテンツの完成度というコンセプト

時代は変わり、EVAというコンテンツがここまでプロフェッショナルに、大人に生まれ変わって興行収入50億の大台に乗せるようになった。が、だからといって周りが手を拱いていたかというとそんな筈はなく、フォロワーにあたる世代も非常に充実している。特に、直後の、危うく二次創作になるんじゃないかという『涼宮ハルヒの憂鬱』はラノベ界とアニメ界の隆盛の証明となった。特に『消失』の文学性の高さは新しい時代を予感させるに十分なものだった。EVAとは文脈が異なるものの、特に「魔法少女まどか☆マギカ」の完成度は凄まじく、恐らくこのクオリティの前ではハリウッド映画の99.9%以上は討ち死にするだろう。

何が言いたいかといえば、EVAの後続世代の「作品としての完成度」が、EVAを上回るようになっている、という事だ。そんな中で10年ぶりに復活して他の追随を許さない売上を記録した、というのが基本的な認識であってそれは何ら間違ってはいないのだが、こと「閉じたコンテンツ」としてのクオリティは必ずしもナンバーワンではない、とはいえる。

EVAの魅力は、その「開き具合」にある。それについて議論し解釈し時には二次創作に励み、という"展開"が前世紀版が終わった後もずっと続いてきた事が現在の隆盛の基礎となっている。「魔法少女まどか☆マギカ」が今後10年でそういう事になるとは思えない。作品としての完成度が高すぎるからである。どちらでもないのが皆さんお馴染み「ワンピース」で、あれは閉じた世界での究極の完成度を誇る作品だが、"まだ連載中"という一点において強い強いLIVE感がある。今の展開力はそこにポイントがある訳だ。

そんな開いたコンテンツであるEVAを閉じさせよう、というのが新劇版のコンセプトであるならば、ヒカルの起用はこの上無く適切だ。千里眼をもつこの作詞家は、恐らくBeautiful Worldの歌詞からして新劇版の終局を示唆していると解釈するのが妥当だろう。完成度。20世紀には上手くいかなかった(というべきなのかどうかはよくわからないが)高みに登り詰める時、ヒカルの歌は漸く本領を発揮する。その時、圧倒的なクオリティで後続にその威光を指し示す事が出来るか。まだまだ予断は許されない。