無意識日記々

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トレンドと個性とプロジェクトの規模と

魔法少女まどか☆マギカ」のテレビシリーズ終了以来、この日記でもアニメの話題が格段に増えた訳だが、この度公開された新編「叛逆の物語」の続編らしい名作ぶりをみるにつけ、まだまだ勢いは衰えそうもないなぁと痛感するに至った。

アニメについて取り上げるのは、今の勢いが誰か天才に依拠したものではなく、業界全体が文化として隆盛を誇っていると感じたからだが、ますますその感じは強くなっている。時間経過につれ確実に制作側が様々な学習をし修正を施しクォリティーを上げている。勿論粗製乱造状態なのだが、なんだかんだでこういうのは作ってみないとわからない。それを下支えするだけの支持者が居る。羨ましいものだ。

隣の芝生は青く見えるというけれど、多分そうだろうな。「叛逆の物語」を見て、しかし、「EVAQに桜流しがあって本当によかった」と思ったのも事実だ。映画を観てないと何のこっちゃわからないだろうが、全部すっ飛ばして結論だけ書けば、扱っているテーマの普遍性に関していえば、他業種といえどヒカルに敵うパターンはなかなかない。こちらは、業界の盛り上がり云々に関係なく、個人の才能によって成功を収めている。孤軍奮闘というと言い過ぎだが、庶民にとって、宇多田ヒカルは"最後の良心"のうちの1人だろう。

業界全体が文化として栄えている時には、トレンドというのも大きな意味を持つものだなぁ、と私らしくない事を感じている。何しろ、アニメーションとは制作の都合上、どうしたって数百人単位で動くプロジェクトにならざるを得ず、従ってその全体を牽引するのにトレンドは強力なグルーたりえるからだ。個々人がただバラバラに個性を発揮してもまとまらない。監督の強力なカリスマが必要なのは勿論だが、時間的制約を考えるとやはりトレンドに"頼った"方がいい。

シンガーソングライターは真逆な存在だろう。自分の書いた曲と歌詞は総て手元にあるのだから、大事なのはそのまま強烈な個性である。彼らが流行に擦り寄るのは、成功する例もあるにはあるが、やはり期待されるのは時代に左右されないその人の個性である。大規模プロジェクトにはない強みといえるだろう。

しかしHikaruは…いや、これからの事はわからないか。現に、桜流しはJ-popのトレンドとは無関係な、EVAという作品と向き合ったのみの作風だった。一方で震災という時事性も頭にあったろうから素直な判断は難しいけれど。そして、EVAというコンテンツは一昔前のトレンドを作った化け物であり、Rebuildという手法を通じて、新しい境地に足を踏み入れようとしている作品だ。そこには庵野秀明という人の作家性が強く反映されているが、と同時にアニメーションという巨大プロジェクトならではのトレンドの影響も強い。様々なバランスの中で、ヒカルの歌は鳴り響いている。正直、どこが立ち位置かわからない。尤も、私からみればそこが世界の中心なので、迷っている訳ではないのだけれど。