無意識日記々

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疑心暗鬼の天邪鬼

表現規制の法的な話題が季節の風物詩のごとまたまた喧しい。思うに、表現と伝達の区別がついていない点が問題なのではないか。表現はその名の通り完全に自由でなければならないが、その表現物の存在と内容を他者に伝達・報告・開示・提示する段階はまた別問題だ。ところが今回の法案は(も)そこを混同し、表現物の存在自体を取り締まる方向に行っている。これは危うい。

しかも恐ろしいことに、その表現物の創作時期について過去に遡及するととれる条文まで存在する。ここまで来るとこちらにも問題が及んでくる。何故なら、宇多田ヒカルは15歳でデビューしているからだ。

今巷間を賑わせている案の基準は「18歳未満」らしい。となると。2001年1月17日以前のヒカルの活動記録が対象になる。その中で"不適切"と見なされたコンテンツに関しては所持しているだけで咎められる事になるのだろうか。

現状では、勿論、流行歌やその内容について取り締まる方向性は一切見えていない。ただの杞憂である。しかし大きな懸念として、濫用の問題がある。どのように運用されるか、わからない。そこまで考えるべき段階ではないのだが、既に現時点で提示されている案が常軌を逸している為どうにも判断がつきづらい。

歌は世につれ世は歌につれ。時代が時代であれば、15歳の女の子が恋愛の歌を唄う事について一悶着あってもおかしくはない。実際、我々はFirst Loveの歌詞においてそういったクレームがあった事を伝聞している。実際にどのようなクレームが誰からあったかは定かではないが、こちらの耳まで届いたという事は世の中にそういった発想を有意だと判断した人間が居るという事だ。

最早30歳を迎えたヒカルにはこの問題は無関係ともいえた筈なのだが、過去への遡及性が拡大解釈されていくと危うい。まぁ、ヒカルが引っ掛かるんだったら過去の18歳未満歌手は全員アウトだろうけれども、拡大解釈による濫用の標的、即ち見せしめの為にはより効果的な人間が選ばれるであろう。ふむ。


なんだかSFを書いてる気になってきたが、表現活動への規制は時代の風とともにある。歌謡には影響は少ない、と言っていられるかは、これからもわからない。殆どは素通りしておいていいと思うが、こういう問題もあるのだと頭の片隅にでも置いておいてうただければ幸いである。