無意識日記々

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Hope we won't fuck their lyrics up !

前に何度か書いたようにあたしが政治イシューで唯一積極的に取り上げるのは毎度ながら「表現の自由」についてだ。理由は複数あるけれど、ひとつには「ヒカルの歌う歌をそのまま聴きたい」というのがある。

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日本国憲法第二十一条

一項、集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

二項、検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

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Wikipediaより引用。このうち、「検閲」が問題になる。公権力が出版物を抑圧する行為について言うことが多い。

今のところ国家権力にヒカルの歌詞(出版物と見做される)が検閲を受けたことはないが、やや危うい場面はあった。NHKみんなのうた」で『ぼくはくま』が採用される時のことだ。

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『ちなみに『ぼくはくま』の歌詞、NHKから「前世」NGが出てなんとか粘って「ゼンセ」でOKしていただいたという小話。』

『「ゼンセはきっとチョコレート」でもダメなら「みんなのうた」あきらめようと思ってました。 RT @komuron18: もし粘っても「前世」が無理だった場合に、考えた歌詞とかありましたか?』

https://twilog.org/utadahikaru/date-120719/asc

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このエピソードが検閲かというと違うのだが、やや危ういのは間違いない。民放相手なら単なる交渉と言えなくもないが、NHKは「公共放送」という微妙な立場。これが「国営放送」であれば検閲の領域に一歩足を踏み入れるところだ。

放送コードというのは存在自体が危うい。業界の自主規制基準だが、だからこそ…いかん、この話は長くなるので省略する。

もうひとエピソード。こちらはシンプルだ。Apple Music Radio 1の『The Zane Lowe Show』などで『BADモード』の

『Hope I don't fuck it up』

の一節がまともに放送されなかった件である。"fuck"が放送コードに引っ掛かるのだ。確かにそこはもう共有認識として拡がっているから抵抗は少ない(事実ヒカルも抗議していない)と思うが、これ、ラジオ番組だからよかったけど、もしCDでも同様の措置が取られたら? いや流石にそれは無いだろう、と思われるかもしれないが、では、CDではOKでもサブスクのストリーミングではアウトということは、将来起こり得ないだろうか? こちらは、なんだか少し現実味があるとは思いませんか?

歌詞に於ける、検閲、自主規制、放送コードなどとの関係は様々なレベルの問題を孕んでいる。次々に“微妙な”案件が現れてくる為議論も難しい。しかし、全体の流れとして、「表現の自由」を軽視する国になっていけば、「歌詞くらい我慢しなさいよどうでもいい」という国民的合意(なんだそれは?)が形成されていくだろう。そっちに国が向かうと、ヒカルは、「みんなのうた」から『ぼくはくま』を取り下げかけた時のように、日本での音源のリリースを取り下げる決断をいつか下すかもしれない。或いは、日本語で歌を歌うこと自体を辞めてしまうかもしれない。別に英語で幾らでも歌えるしね。そうなったらと思うと、怖い。

現状は、どちらかというと「英語で歌うと制約が多いから」となるケースの方が多そうだ(上記のように"fuck"が引っ掛かったりするのだし)が、こういうのは本当にいつ何がどちらに転ぶかわからないので、兎に角今は、「日本という国は表現の自由を重視する国だ」という世界共通認識を作り上げていく事が大事だと思う。政治家さん達って外圧と外貨に弱いしね! そんな理由もあってあたしは「表現の自由」を重視しているのでありましたとさ。ホントに、大事。