無意識日記々

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熊淡弐―憧れの音楽家

熊淡弐で吃驚したのは、エリザベス・フレイザーの事を「生きている中で世界一好きな歌手」と言ったり、P.J.ハーヴェイの事を「生きている中でトータルのパッケージとしていちばん尊敬できるアーティスト」と言ったりしていた事だ光が。これは、まずラジオDJとして大切な点だ。というのは、以前指摘したように、優れたDJというのは紹介する曲、アーティストが「全体の中でどういう位置付けにあたるのか」を"系統的に"述べる事でリスナーの音楽的理解を容易にさせる事が求められるからだ。

シンプルな話である。次にP.J.ハーヴェイの曲をラジオで耳にした時、「あぁ、あのヒカルちゃんが憧れてるっていう」とリスナーが"気付ける"事。これはとてつもなく重要である。この一言が言えるか言えないかで音楽のある生活の楽しさがまるで違ってくる。光はただ自分の趣味嗜好を素直に吐露しただけかもしれないが、それでいいのだ。それが、いいのだ。

それにしても"総合的なアーティストとして"というのには驚いた。今まで私は、Hikaruには、部分的に憧れたり好きになったりするアーティスト、ミュージシャンは山ほど居ても全体として目指せるようなタイプの人は実在しないんじゃないかと思っていたのだが、居たのだ。自分の不明を悔いるとともに、その事実とそれを知れた事に喜びを禁じ得ない。

しかし、困ったものだ。P.J.ハーヴェイといえば(元々の発音は"ハーヴィー"により近い)、かなり有名なアーティストだ。毎週ツイートさせてもらってるNHK-FMの「ワールド・ロック・ナウ」でも、P.J.の新音源がリリースされるその都度必ず選曲される人なので、私にとってもそれなりにお馴染みの人なのだが、今の今まで彼女の曲で私の琴線に触れたものはなかった。そして、今回かけてくれた曲も、そんなでもなかった。これは、無意識日記執筆者としては大きな痛手である。そこらへんを理解出来ていないと書いてる事の説得力がまるで無くなってしまうではないか。いや別に誰かを説得したい訳じゃないけど。

まぁそれを行ったらHikaruだって1年半前にロンドンのロイヤルアルバートホールで二夜連続で観るまで(恐らく2011年10月30日&31日の公演の事だろう)は、"そこまでじゃなかった"というニュアンスで喋っていたので、彼女の魅力というのは直にナマで観ないと伝わらないタイプのものなのかもしれない。次に観れる機会があれば観ておいた方がいいかもしれないな。

それにしても、嬉しい。Hikaruに、「目指せる人物」が生きて存在してくれている事に。ぐっとこれで孤独感が減る。とはいうものの、オリジナルなアーティストのプライドがある以上、どこかからは絶対孤独でないといけないけどね。とまれ、いいことなのだ、これは。